総合寝具リースの西脇蒲團店(ニシワキ)は、明治26年(1893)に西脇丈助が名古屋市の東万町(現・中区丸の内1丁目)で寝具業を創業したのが始まり。丈助は明治元年の生まれで大垣出身だった。詳しいことは不明で、残念ながら写真が残っていない。
丈助はフトンを製造して、賃貸するという事業を初めて行った人で、貸しフトンというビジネスのパイオニアだった。
その丈助は昭和8年(1933)に51歳で死去してしまったので、家業は21歳年下の妻無免野(むめの)が守っていくことになった。無免野は、面倒見の良い女傑肌で、おおらかでおおざっぱな性格が好かれた。奉公人と一緒の釜の飯を食べて、家族ぐるみで付き合う姿勢が皆から愛され慕われた。
無免野は、夫に勝るとも劣らない商売人で、子供達8人とで家業を伸ばした。昭和10年には、北区浪打町2丁目で工場を設立、輸入原綿および国内落綿による蒲団の製造工程とその他の綿を処理する工程を併設して名実共に一貫工場の形態を整えた。
昭和18年は戦時中であったが、西脇蒲團店は世代交代の時期を迎えた。丈助の次男である正勝が昭和18年に29歳で引継いだ。正勝は母無免野の助けも受けながら家業に精を出したが、残念ながら西脇蒲團店は空襲で焼失してしまった。
正勝は、廃墟の中で再建を目指した。昭和28年には有限会社に組織変更し、中区橘で本社を設立するなど積極経営を行った。昭和33年には中区新栄町3丁目に営業所および店舗も新設した。
貸しフトンのリース事業に本格的に参入したきっかけは、黒四ダム工事だった。ダム建設工事が始まると、多くの施工関係者が工事現場で寝泊まりした。正勝は、その工事現場に貸しフトンを持ち込んだ。西脇蒲團店はこれ以降、医療関係のリネンサプライも手掛けた。
正勝は、本業のかたわらで政治家としての活動にも精力的だった。名古屋市議を何期も務めた。だが、好事魔多しで、昭和51年に西脇蒲團店の発展の功労者であった無免野が亡くなった。そして3年後にあたる昭和54年に正勝も64歳で亡くなった。市議会議長の在任中のことだった。
現在社長を務めているのは、正勝の三女の西脇良子氏だ。良子氏は、平成6年(1994)に社長に就任した。良子氏は両親から受け継いだビジネスの才覚があった。平成10年に介護保険の指定事業者になり、介護事業に乗り出した。リネンサプライと介護という事業の相乗効果を狙ってのことだった。
現在では、ニシワキグループを形成し、総合寝具リース、寝具類販売、リネンサプライ、介護用品、レンタル、オムツなどを総合的に手掛ける企業に発展している。
本社は、名古屋市北区水草町1‐68。
Copyright(c) 2013 (株)北見式賃金研究所/社会保険労務士法人北見事務所 All Rights Reserved
〒452-0805 愛知県名古屋市西区市場木町478番地
TEL 052-505-6237 FAX 052-505-6274