日露戦争では、多くの犠牲者が出た。掲載した資料は「三十七八年戦役慰労軍人名簿」である。名古屋市内の戦役者をまとめた資料で、頁をくってみると、町単位で戦役者が載っている。おびただしい人数だ。戦争に勝ったというものの、一家の大黒柱を失った家庭は、その後厳しい現実が待っていただろう。
この犠牲者を横目に、戦後はかつてない好景気がやってきた。現代風に表現すれば、まさにバブルだった。日露戦争の戦費の9割は公債によってまかなわれた。その半分以上が外債であった。かくして巨額の外資が奔流のように国内に流れ込んだ。また、鉄道の国有化により、政府の買収資金が民間に流れ込んだことも大きかった。これが政府の産業保護政策、海外市場への進出と相まって企業勃興の起動力になった。
街には成金が幅をきかすようになっていった。その一方、戦争で負傷した元兵士が道ばたで物乞いをするという非常におかしな風景がみられるようになった。
戦勝に浮かれて、舞い上がってしまったものが多かったが、その象徴的な存在が南満州鉄道の株式だった。
日本の満州統治政策の柱だった南満州鉄道(満鉄)は、明治39年(1906)9月に株式が募集され、11月に設立された。日本が勝ち取った旅順と長春との間の鉄道経営をする国策会社だった。鉄道のほかにも、炭坑、水運、電気、倉庫など多用な事業を行うことも決まった。資本金は2億円で、半額は政府が出資し、残りは民間から集めた。
南満州鉄道の株式は、名古屋でも異様な人気になった。愛知銀行では、発売日になると長蛇の列ができた。この時の3都市の応募額は、名古屋2千573万株、大阪2千153万株、東京1千478万株という順で、名古屋が一番多かった。南満州鉄道の株式がブームになったのは、名古屋のおかげだともいわれた。
名古屋株式取引所の市況は“暴騰”の一言だった。日銀の相次ぐ金利の引き上げはあったものの、鉄道国有化案の確定から鉄道株を中心に活況となり、名古屋株式取引所の売買高は648千株と、前年比で3・9倍になった。特に鉄道国有化法により、私鉄買収の巨額の資金が民間に流入したことも大きかった。名古屋は、空前の株式投資熱を帯びるようになっていた。南満州鉄道の株式だけでなく、既設会社の株式も、天井知らずの高騰だった。〔参考文献『名古屋証券取引所三十年史』〕
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