無洗米など米穀販売のハナノキは、明治時代の創業だ。
ハナノキの創業者は、池山網次郎という。西春村(現・北名古屋市)の百姓・池山幸藏の子として文久3年(1863)に生まれた。
西春村は、明治時代に入り、養蚕が盛んになった。蚕を飼うための網カゴの需要が高まり、農家は副業として網カゴ製造に精を出したといわれる。網次郎は近隣の農家からお米を買う産地集荷業をしたり、養蚕に必要な桑の葉を集荷したりする商いを始めた。屋号は「丸幸」といった。つまり創業時代から〝米〟を扱うのが生業だった。その創業年次は「遅くとも明治40年には創業していたはず」ということで、創業明治40年としているが、実際には、屋号から推察すると幸藏の応援を得て商いを始めた可能性が大きく、もっと遡ると思われる。ひょっとすると20年以上遡るのではなかろうかと推測される。「丸幸」は、次男の健次郎が二代目として継いだ。その次は、健次郎の子の幸夫が三代目になった。
同社の事業は、同じお米を扱ってこそいるが、時代によって大きく変化している。第一期の網次郎・健次郎の時代は米の産地集荷業だった。第二期の幸夫の時代は米の小売業で、昭和17年(1942)から昭和46年までだった。第三期は米の卸売業で、昭和47年から今日までだ。
この昭和47年という年は、本社屋と大型精米工場を建てた特筆すべき年になった。株式会社ハナノキフーズ(平成4年(1992)に株式会社ハナノキに変更)という社名にしたのも、この年だった。この頃は食糧管理法が形骸化し、量販店や外食産業が急成長し始めていた。この頃入社したのが現会長の池山健次氏で、米の流通自由化の過程で、業態を思い切って切り替えた。
同社の飛躍のバネになったのは、平成18年に操業開始した瑞浪工場だ。瑞浪工場は、品質管理、安全、鮮度を追求した先端的設備を導入した。ISOの資格も取得した。この工場で製造しているのが無洗米だ。
無洗米は洗わずに炊けるので、需要が高まり、特に外食産業ではそのお手軽さから扱われることが多くなってきた。
同社は、この無洗米に関しては品質にこだわりメーカーのような独自性を発揮している。そして販売においても楽天ほかネットショップで売るなど、製造直販型の業態を確立しつつある。
本社は、北名古屋市井瀬木井の元36。
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