コツコツという言葉がぴったりする老舗の工具問屋、それがノダキだ。
ノダキは明治40年(1907)、野田貴一郎が創業した。野田家はもともと一宮市大和町字馬引が出身地で、彼の父野田徳左衛門は紺屋を営んでいたが、事情があって名古屋に移り住んだ。その子は4人いて、貴一郎は三男として明治15年に生まれた。
兄(徳左衛門の次男)の京三郎は日露戦争の旅順港の閉塞作戦で決死隊に志願して戦死している。中村公園には記念碑が残っている。
野田貴一郎は、大阪で奉公に出た後、5年ほどして名古屋に帰った。そして大阪で覚えた商売の経験をもとに、伝導装置用品卸商「野田貴商店」として創業した。25歳だった。創業の地は、現本社の近くである。
創業後は経営も順調で、伝導装置用品の卸売業として、鋳物プーリー(滑車)などを販売していた。大正12年(1923)には合名会社となり、旭精工の中部総代理店としてベアリング機器の扱いが増えた。
貴一郎は子がなかったので、養子として銀治郎を迎えた。昭和15年には銀治郎が社長に就任し、住友電工の特約店として粉末合金製品の販売に注力した。この頃に超硬工具の専門商社としての地位を築いた。
昭和の戦争は、ノダキにとっても試練だったが、幸いだったのは空襲で燃えなかったことだ。社員総出で消火作業に取り組んだという。おかげで戦後は早く立ち上がることができた。
この終戦当時にノダキの社風を物語るエピソードがある。戦後は配給制になったが、どこでもヤミ取引に精を出して儲けようとした。だがノダキは一切ヤミには手を出さなかった。おかげでその後に債権が焦げ付くこともなかった。「石橋を叩いて渡るというが、当社の場合は、石橋を叩き過ぎて橋が壊れてしまうかも」と野田京二郎会長は苦笑する。
ノダキは現在、中部地区の大手製造業を顧客にして、超硬工具ツーリング(切削工具)、粉末治金焼結合金工具などを卸売りしている。堅実経営はその後もずっと守られている。
現社長は野田道典氏で、養子として入った。愛知県機械工具商業協同組合の元理事長として業界のリーダーでもある。
本社は、名古屋市西区名駅3‐10‐26。
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