第1部 明治前期/1893(明治26年)

その時、名古屋商人は

奥田正香が会頭に就任。奥田時代始まる

 名古屋商業会議所では、この年、奥田正香が第六代会頭に就任した。以後、大正2年(1913)10月までという長期にわたり会頭を務めたので、「奥田時代」といわれている。

 それにしても昔の財界人は若かった。奥田正香は会頭就任時に46歳だった。元尾張藩士でありながら味噌溜製造業を創業したやり手で、野性的でたくましい経営者だった。

 また、副会頭として補佐した鈴木摠兵衛も、当時30代だった。この奥田・鈴木というコンビが名古屋経済界を引っ張ることになる。

明治名古屋を彩る どえりゃー商人 奥田正香

 明治の名古屋財界を語る上で欠かせないのが奥田正香だ。

 正香は、尾張藩士の子として鍋屋上野村(現・千種区茶屋ケ坂公園)で誕生した。藩校明倫堂で学び、明治元年(1868)に同校の国学助教見習になる。その後数年、伊勢や名古屋で役人生活を送った。その頃大蔵省8等出仕に任ぜられたが、知人が7等であることを知るや、これを辞したというエピソードに人となりをうかがうことができる。

 名古屋に戻ってからは宮町(現・中区錦3丁目)で奥田商店を開き味噌醤油の販売を始めて成功した。

 正香の才能は、経営者としてよりも財界人として発揮されていく。公共のためになる事業を次々に興した。明治26年に名古屋商業会議所の会頭になり、大正2年(1913)に辞任するまでリーダーシップを発揮した。

 関連した主要な企業は、次の通りだ。

 尾張紡績(明治20年設立)設立発起人で社長、名古屋株式取引所(明治26年)理事長、明治銀行(明治29年設立)設立発起人で頭取、日本車輌製造(明治29年設立)設立発起人で社長、名古屋瓦斯(明治39年設立)設立発起人で社長、名古屋電力(明治39年設立)設立発起人で社長。

 このほかにも関連した企業は、枚挙に暇がない。正香は、明治時代の中部財界の巨頭で〝名古屋の渋沢栄一〟と呼ばれるほどの存在だった。

 名古屋財界は一般に土着派、近在派、外様派の3グループに分類されているが、外様派グループの中核的存在が正香であった。奥田グループは構成企業数と兼任役員数では3グループのなかでも最大であったが、これを支えたのが県外から起用した上遠野富之助、兼松煕、岡本桜らであった。また県知事深野一三、名古屋市長加藤重三郎とはいわゆる三角同盟といわれる緊密な関係にあった。

 正香は名古屋財界のドンを自負していた。例えば宴会でも、人々が集まっている中を会釈もせずズカズカと入ってきて、上座に座り、盃をとり上げた。

 相手が市長だろうが、知事だろうが、陸軍第三師団長だろうが、首相だろうが、容易に頭を下げなかった。こんなエピソードも残っている。陸軍第三師団長の桂太郎といえば、後に首相になる権力者だが、その桂が正香の家を訪ねたことがあった。その桂に対して、正香は玄関に立ったまま出迎え、決して頭を下げなかった。とうとう桂の方から頭を下げた。

 桂は、この正香のことをタダならぬ人物と見抜いた。後に桂は首相になり、渋沢栄一や岩崎久弥などを顧問として意見を拝聴するようになるが、その顧問の中に正香も入れ、経済政策を具申させた。

 このように正香は、政財界を一手に牛耳る、そして強力なリーダーシップで引っ張る、そんな野生派のサムライだった。

 しかし熱田遊郭移転問題をめぐる稲永疑獄事件で盟友に嫌疑がかかったのを機に、大正2年に職務一切を退き、覚王山で仏道生活ののち生を終えた。

 女将おたいが経営していた料亭魚半(百春楼、通称「魚之棚」と呼ばれた小田原町にあった)がお気に入りで、清元、長唄はもちろん義太夫まで語った。明治32年に名古屋初の自家用車(蒸気自動車)を持っていた。

名古屋株式取引所を設立

名古屋株式取引所
名古屋株式取引所
『写真に見る明治の名古屋』(名古屋市教育委員会編)より

 東京株式取引所は明治11年(1878)に設立された。名古屋でも明治19年に名古屋株式取引所が設立された。滝兵右衛門、瀧定助、森本善七、春日井丈右衛門らが協力して発起人になった。場所は下長者町1‐15だった。初代の頭取には、森本善七が就任した。

名古屋株式取引所
開業式当日の社員 
『ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 名古屋』(国書刊行会)より

 だが、明治22年に至り、ある2、3の会社の営業失敗から名古屋の経済界は恐慌状態に陥り、株式売買も激減した。ここに至り、名古屋株式取引所の継続は困難となり、遂に明治22年に解散に追い込まれた。

 しかしながら、名古屋の経済の発展に伴い、株式取引所の再開を希望する者が多くなった。奥田正香、笹田傳左衛門、白石半助、堀部勝四郎、鈴木摠兵衛をはじめ17人が発起人となって、明治26年に株式会社名古屋株式取引所を設立した。理事長には奥田正香が就任した。場所は名古屋市南伊勢町86だった。

初代頭取森本善七
初代頭取 森本善七

 開業時における売買物件は、公債証書のほか、次の株式しかなかった。

 尾張紡績、名古屋株式取引所、大阪紡績、大阪鉄道、関西鉄道

 だが、日本経済が企業の勃興期に入ったこともあり、その後は銘柄が順調に増えた。〔参考文献『名古屋証券取引所三十年史』〕

次のページ 愛知時計を設立。名古屋が時計産業のメッカへ

ページの先頭へ戻るページの先頭へ

序文

第1部 明治前期

明治元年 龍馬暗殺
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 伊藤祐昌(いとう呉服店)
この年に創業 峰澤鋼機
明治2年 版籍奉還
明治3年 四民平等
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 九代目岡谷惣助真倖(岡谷鋼機)
明治4年 通貨単位が両から円へ
その時、名古屋商人は・・・
岡谷鋼機が会社を作って七宝焼を世界に売り込む
明治5年 新橋―横浜間に鉄道開通
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 北川組
この年に創業 鯛めし楼
明治6年 地租改正
明治7年 秋山好古が風呂焚きに
明治8年 北海道に屯田兵を置く
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 四代目滝兵右衛門(タキヒヨー)
この年に創業 タナカふとんサービス
この年に創業 青雲クラウン
明治9年 武士が失業へ
明治10年 西南戦争起こる
その時、名古屋商人は・・・
本町のシンボル・長谷川時計を作る
この年に創業 一柳葬具總本店
明治11年 大久保利通暗殺
明治12年 コレラが大流行
明治13年 官営工場が民間へ払下げ
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 安藤七宝店
明治14年 緊縮財政始まる
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 岩間造園
この年に創業 松本義肢製作所
この年に創業 東郷製作所
明治15年 板垣退助暴漢に襲われる
明治16年 欧化を推進、鹿鳴館外交始まる
明治17年 自由民権活動が激化
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 村上化学
明治18年 伊藤博文、初代首相に
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 福谷
この年に創業 服部工業
明治19年 ノルマントン号事件起きる
明治20年 豊田佐吉、発明家として歩み出す
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 林市兵衛
この年に創業 折兼
この年に創業 鶴弥
この年に創業 柴山コンサルタント
明治21年 正岡子規、ベースボールに夢中
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 鈴木政吉
この年に創業 ニイミ産業
この年に創業 丸川製菓
明治22年 大日本帝国憲法発布
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 坂角総本舗
明治23年 教育勅語発布
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 ヒノキブン
この年に創業 笹徳印刷
この年に創業 ワシノ機械
明治24年 ロシア皇太子、斬られる
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 河田フェザー
明治25年 第二回総選挙で、政府が選挙妨害
明治26年 御木本幸吉、真珠養殖に成功
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 奥田正香
この年に創業 西脇蒲團店

第2部 日清・日露戦争時代

第3部 明治後期

第4部 「旧町名」を語りながら