羽子板の羽根から始まり、その後、破魔矢(神社で売っているもの)の製造まで手掛ける家内工業として長年続いてきたのが河田フェザーだ。現在では、羽毛に関する独自技術を磨くことで、羽毛布団を寝具会社などに納入するニッチな世界的企業に発展している。
創業者は、河田寅吉といい、明治24年(1891)に東京都内において羽子板の羽根を扱う羽毛商を始めた。
その長男の安吉は明治38年に事業を継承した。
安吉は、昭和19年(1944)に亡くなったので、その長男準一郎が責任者となった。だが、当時は戦時中で、昭和20年に戦災に遭い事業を中断した。疎開先だった岐阜県高山市で事業を再開した。昭和24年には名古屋へ移転した。昭和27年には、準一郎が、名古屋から東京に出ていったので、弟の和成が名古屋の責任者となった。
和成は、昭和38年に法人に改組し、代表取締役となる。これが現在の河田フェザーである。
現社長の敏勝氏は、和成の長男で、家業から脱皮して企業になることを目指した。同社が大きな発展を遂げるのは昭和50年代からである。羽毛入りのダウンジャケットとか、羽毛布団を製造するようになった。羽毛という、それまで高嶺の花だった高級品を国内で普及させた。売り先は、アパレル会社や寝具会社で、一流メーカーがズラリと並ぶ。
同社の登記上の本社は名古屋にあるが、実際の本社機能は、三重県多気郡明和町大字山大淀3255番地にある。著者は取材のために訪れたが、松阪市のさらに南に位置する、へんぴな場所だった。なぜ、こんな場所に?と不思議な印象を禁じ得なかった。
だが、この場所こそが同社発展の基礎なのである。三重県の南部は、多雨地帯であり、尾鷲などの山間部で大量の雨が降った後なので、逆に海に近い明和町はずっと乾燥しているのだという。しかも、純水に近い良質な水が豊富にあり、海に近いので排水も容易なのだという。
明和町は、羽毛加工にとって必要不可欠な条件が全部揃った希な地域だったのだ。同社はさんざん探しあぐねた末に同地を見出した。平成2年(1990)に工場を新築した。この工場進出のおかげで同社は、世界的にみても最先端の羽毛加工技術を確立することができた。
巨大自動洗浄ラインの増設と完全無人化を進め、世界最大級の工場を極少人数で運用させることにより国際競争力を高め、世界中で定評のある高い品質をさらに高めた。
羽毛という事業はニッチな特殊領域で、同社は世界的にみても独自の存在感を持つまでになっている。
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