第1部 明治前期/1880(明治13年)

その時、名古屋商人は

この年に創業 名古屋の伝統工芸を守る 安藤七宝店

 七宝焼といえば、名古屋の伝統工芸品だが、明治13年(1880)の創業で、その文化の担い手ともいえるのは安藤七宝店だ。

 安藤七宝店は明治13年に「名古屋市玉屋町4‐110」で創業した。この住所は現在ないが、旧東海銀行本店の正面左側ロビー付近であった。

 ここで〝創業〟という言葉を使ったが、それは七宝焼の販売を始めたという意味でのことであった。安藤家が商いを始めたのは、実際にはもっと古く、天保年間に遡る。創業時は煙管商であったようだ。

 安藤七宝店は明治13年の創業時は、七宝焼の販売業だったが、明治23年に製造も始めた。それは解散した大日本七宝製造会社の業務を承継する形だった。七宝の祖梶常吉の孫・梶佐太郎を工場長として迎え入れ、その技術を引き継いだ。

 安藤七宝店は、明治23年に東京店を開設した。場所は銀座の一等地である。当初は賃借であったが、明治30年代に100坪の敷地を購入して自前の店を作った。安藤七宝店の売上高は、東京6割、名古屋4割となっている。つまり、この東京進出がその後の発展の基盤作りになった。

 安藤七宝店の長い歴史の中で、一番の困難は敗戦だった。東京も名古屋も焼け野原になり、ほとんどを焼失してしまった。だが、GHQの米兵が日本に来て、土産物として七宝焼を購入することが増え、息を吹き返した。

 安藤七宝店の一番の栄誉は、昭和30年(1955)の行幸であった。今上天皇は皇太子時代、名古屋の安藤七宝店を視察された。安藤七宝店は宮内省御用達で、その作品は皇居に数多く飾られている。

 社長の安藤重良氏は、七宝焼という仕事を後生に伝えることに使命感をもっている。

 名古屋本店は、名古屋市中区栄3‐27‐17。

 

ページの先頭へ戻るページの先頭へ

序文

第1部 明治前期

明治元年 龍馬暗殺
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 伊藤祐昌(いとう呉服店)
この年に創業 峰澤鋼機
明治2年 版籍奉還
明治3年 四民平等
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 九代目岡谷惣助真倖(岡谷鋼機)
明治4年 通貨単位が両から円へ
その時、名古屋商人は・・・
岡谷鋼機が会社を作って七宝焼を世界に売り込む
明治5年 新橋―横浜間に鉄道開通
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 北川組
この年に創業 鯛めし楼
明治6年 地租改正
明治7年 秋山好古が風呂焚きに
明治8年 北海道に屯田兵を置く
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 四代目滝兵右衛門(タキヒヨー)
この年に創業 タナカふとんサービス
この年に創業 青雲クラウン
明治9年 武士が失業へ
明治10年 西南戦争起こる
その時、名古屋商人は・・・
本町のシンボル・長谷川時計を作る
この年に創業 一柳葬具總本店
明治11年 大久保利通暗殺
明治12年 コレラが大流行
明治13年 官営工場が民間へ払下げ
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 安藤七宝店
明治14年 緊縮財政始まる
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 岩間造園
この年に創業 松本義肢製作所
この年に創業 東郷製作所
明治15年 板垣退助暴漢に襲われる
明治16年 欧化を推進、鹿鳴館外交始まる
明治17年 自由民権活動が激化
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 村上化学
明治18年 伊藤博文、初代首相に
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 福谷
この年に創業 服部工業
明治19年 ノルマントン号事件起きる
明治20年 豊田佐吉、発明家として歩み出す
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 林市兵衛
この年に創業 折兼
この年に創業 鶴弥
この年に創業 柴山コンサルタント
明治21年 正岡子規、ベースボールに夢中
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 鈴木政吉
この年に創業 ニイミ産業
この年に創業 丸川製菓
明治22年 大日本帝国憲法発布
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 坂角総本舗
明治23年 教育勅語発布
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 ヒノキブン
この年に創業 笹徳印刷
この年に創業 ワシノ機械
明治24年 ロシア皇太子、斬られる
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 河田フェザー
明治25年 第二回総選挙で、政府が選挙妨害
明治26年 御木本幸吉、真珠養殖に成功
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 奥田正香
この年に創業 西脇蒲團店

第2部 日清・日露戦争時代

第3部 明治後期

第4部 「旧町名」を語りながら