明治政府は、殖産興業の政策のため、全国各地に工場を建設したが、その民間への払い下げが始まった。
例えば、深川セメント製造所が浅野総一郎に、長崎造船所が三菱財閥に、富岡製糸場が三井財閥に払い下げられたように、そのほとんどが政商相手だった。
このように、政府と密接な関係をもつ政商に安い価格で払い下げられたので、汚職や癒着の温床になり、政府に対する批判が高まることになる。
明治政府がとった文明開化・殖産興業・富国強兵政策の波は、岡崎にも押し寄せた。内務省は明治13年(1880)、岡崎市大西町で官営愛知紡績所を設立した。
明治政府が西洋式紡績業の奨励を図るために官営の紡績工場を造ったのは、広島県と愛知県だった。ただし、広島紡績所は開業前に民間に払い下げられたため、愛知紡績所は全国で唯一の官営紡績工場として紡績技術者の養成などで指導的な役割を果たしていくことになった。〔参考文献『岡崎市史』〕
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