笹惣(現・岡谷鋼機)の家督を継いで、その再建を見事に成し遂げた九代目の岡谷惣助真倖は、新しい事業に挑戦することになった。七宝焼の事業化である。
七宝焼は、もともと梶常吉が技術を確立したもので、常吉が尾張七宝の祖といわれている。常吉は、江戸時代の末期、尾張藩士の次男として富田(現在の名古屋市中川区)で生まれた。七宝の製作を志して苦難の末、オランダ渡りの七宝皿を研究して製法を発見、現在の尾張七宝の基礎を作った。
九代目の岡谷惣助真倖は、この七宝焼という美術工芸品を、世界に向けて売り出そうと考えた。そして事業化するための会社「愛知七宝会社」を資本金3万円で設立した。実は、名古屋市内で営利を目的とする民間資本の〝会社〟ができたのは、これが初だった。それだけでも、この事業に掛ける意気込みが理解できるだろう。
この七宝会社が設立された明治4年(1871)は、常吉はすでに68歳になっていたが、後進の指導にあたってくれた。
七宝会社は、設立当初小さな売り上げだったが、真倖は「初めから採算が取れる訳ではない。最初から20カ年計画でやっている」と従業員を激励したという。
七宝会社の飛躍のカギは、明治6年のオーストリアのウィーンで万国博覧会があり、そこで出品したところ素晴らしい評価を受けた。おかげで売り上げが急増した。
この成功には、名古屋中が驚いた。何といっても、日本人が海外に直接ものを売り込んで成功したのである。それは日本中でもまだ珍しい挑戦だった。
日本は、安政5年(1858)の開国以来、輸入品がどんどん入ってくる一方、輸出はあまりできなかった。輸出は、横浜の居留地にいる外商を通じてのことが多かったが、彼らは日本の商人の無知につけ込み横暴の限りを尽くしていた。外商を通じずに直接外国に売り込むことは、日本全体の課題だった。その課題に挑戦したのが九代目の真倖だった。その勇気は、名古屋だけでなく全国に伝わり、賞賛された。〔参考文献『岡谷鋼機社史』〕
Copyright(c) 2013 (株)北見式賃金研究所/社会保険労務士法人北見事務所 All Rights Reserved
〒452-0805 愛知県名古屋市西区市場木町478番地
TEL 052-505-6237 FAX 052-505-6274