自由民権建運動で急先鋒だった自由党党首の板垣退助は、明治15年(1882)、岐阜で暴漢に襲われた。
板垣らは4月6日、岐阜の中教院(現在の岐阜公園にあった建物)にて演説を行い、午後6時頃演説を終えた。 板垣は帰途に就こうと中教院の玄関の階段を下りる。その時、「将来の賊」と叫びながら暴徒が、短刀を振りかざし襲い掛かった。板垣は、命に別状は無かったが、全身に傷を負った。
「板垣死すとも自由は死せず」という有名な言葉は、板垣退助が襲撃を受けた際に叫んだと言われている。
政府は、松方正義の強力な政策により、明治15年(1882)に日本銀行条例を公布し、日本銀行を設立した。日本銀行は、政府が発行した紙幣を回収し、紙幣の発行を1カ所で行うことを目的としていた。そして国内的に余裕があった銀貨に基づいた銀本位制の導入を目指した。この通貨の安定は、経済発展の基礎だった。それが安定したために、日本の経済は勃興期を迎えることになる。
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