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  4. 明治10年代の名古屋製造業・木材業

第1部 明治前期/1884(明治17年)

その時、名古屋商人は

まだ産業革命の夜明け前 明治10年代の名古屋製造業

 日本は、明治時代に入り、殖産興業の政策を受けて産業が勃興するが、この明治10年代においては、どんな状況だったのだろうか? それを示すデータがみつかった。明治17年(1884)の『愛知県統計書』に載っていた「名古屋区特有物産表」である。

 これをみると、江戸時代から続いてきた商品をまだ造っている段階で、産業革命は起きていないことが分かる。産業革命は日清戦争以降に起きたもので、この時点ではまだ夜明け前だ。後に〝世界に冠たる製造業〟となる中部地区の姿は、イメージできそうもない。

 『愛知県統計書』に載っていた生産品目は52個あった。載っていた52品目の中で、繊維製品は生糸を含め11品目、食料品が酒類などの醸造品や各種食品15品目で、この両者で半数以上を占め、さらに残りの大半は種々の日用品・雑貨類となっていた。

 その中のベスト10は次の通りである。漆器・漆汁と扇はいずれも近世名古屋の特産品として有名であり、絞木綿は鳴海・有松において江戸時代から造られていたものである。酒類・味噌・味噌溜も近世以来のものである。それに対して、七宝焼は欧米への輸出品として急成長を遂げた商品で〝新興商品〟といえるかもしれない。

 つまり、ほとんどが江戸時代から続いてきた生産物である。「盛衰ナシ」と書かれているように、近世以来の生産を横ばい状態で維持していたようだ。

明治17年の「愛知県統計書 名古屋区特有物産表」
品名 主な生産者 金額(千円) 盛衰及因由
絞木綿 平民 205 盛衰ナシ
酒類 士族1割 平民9割 128 盛衰ナシ
味噌 士族1割 平民9割 86 盛衰ナシ
味噌溜 士族1割 平民9割 86 盛衰ナシ
士族2割 平民8割 61 盛。輸出年々数ヲ加
漆器 士族1割 平民9割 50 盛衰ナシ
七宝焼 士族1割 平民9割 42 盛。輸出年々数ヲ加
漆汁 平民 13 盛衰ナシ
綿フラネル 平民 8 盛衰ナシ
紙類 士族3割 平民7割 7 盛衰ナシ

 なお「主な生産者」は、士族とか平民という表現になっていた。ほぼ士族が造っていた商品は竹櫛、線香、素麺であった。また、椅子、下駄、絞油、木綿小倉織、佐々飛白などでも士族の占めるウエートが高かった。

 江戸時代においても、下級藩士の間で内職の形でものの製造は行われていたが、秩禄処分のおかげで失業したので、明治時代には製造業に携わる士族が急増していたことを思わせる。〔参考文献『新修名古屋市史』〕

業界団体を組織して発展を目指した木材業界

 名古屋の木材産業は、名古屋城築城以来の歴史を誇っていた。木曽山の木が伐採され、木曽川と堀川を通って、城下へ運ばれた。集荷された材木は、御用材として使用されるだけでなく、商材として商人に払い下げられた。

 幕末には「いろは本組」と称する株仲間が再興されたが、それは指定材木商だった。株仲間は8株で、材木屋惣兵衛、白木屋武兵衛、藤屋武七、三室屋佐七、木屋惣三郎、美濃屋久八、天満屋吉十郎、木屋新八の8軒だった。それらは白鳥貯木場の藩木余剰材を払い受ける特権を持っていた。

 材木商は、上材木町、下材木町、元材木町という3町にあった。それらは、堀川の東側に位置し、五条橋から伝馬橋の間にあった。材木屋、立木屋、板屋、白木屋に大別されていた。株仲間の事務所は、材木屋惣兵衛の所に置かれていた。

 その木材産業は、明治維新によって大きな打撃を受けた。明治2年(1869)に尾張藩の木曽山伐採が打ち切られた。そればかりか、明治5年に至り、新政府が株仲間を撤廃し、その名簿を焼却するに及んで、尾張藩以来の株仲間であった「いろは本組」も自然消滅するほかなかった。

 明治4年の版籍奉還により、幕藩の所有していた森林は、すべて内務省の所有する官林となった。木曽は、檜が橋梁・杭木として最高の資材であったため、鉄道省から大量の需要があり、民間にはなかなか回って来なくなってしまった。

 そんなことで、名古屋の木材業界は“商売上がったり”の状態に追い込まれていた。

 白鳥貯木場から材木商への官材払い下げは、明治11年になって、ようやく始まった。かつてのような株仲間は存在していないので、自由競争となり、木材業者が急増した。

服部小十郎
服部小十郎

 この“木材新時代”を迎える中で、業界団体を作る動きが出てきた。明治17年に愛知県営業組合設立准則が公布され、名古屋の材木商が集まって名古屋区材木商営業組合を設立した。頭取は鈴木摠兵衛、副頭取は服部小十郎が就任した。この組合は、翌18年には名古屋材木商組合と改称した。

 名古屋でも明治22年に初めて電灯がともるようになった。それにより、電柱としての材木需要が発生した。また、製紙会社が紙パルプの製造も開始したので、木材需要が一気に拡大した。こうして名古屋の木材産業は、明治半ばから発展期を迎えることになった。〔参考文献『名古屋木材組合百周年記念誌 二十一世紀への年輪』、『新修名古屋市史』〕

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序文

第1部 明治前期

明治元年 龍馬暗殺
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 伊藤祐昌(いとう呉服店)
この年に創業 峰澤鋼機
明治2年 版籍奉還
明治3年 四民平等
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 九代目岡谷惣助真倖(岡谷鋼機)
明治4年 通貨単位が両から円へ
その時、名古屋商人は・・・
岡谷鋼機が会社を作って七宝焼を世界に売り込む
明治5年 新橋―横浜間に鉄道開通
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 北川組
この年に創業 鯛めし楼
明治6年 地租改正
明治7年 秋山好古が風呂焚きに
明治8年 北海道に屯田兵を置く
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 四代目滝兵右衛門(タキヒヨー)
この年に創業 タナカふとんサービス
この年に創業 青雲クラウン
明治9年 武士が失業へ
明治10年 西南戦争起こる
その時、名古屋商人は・・・
本町のシンボル・長谷川時計を作る
この年に創業 一柳葬具總本店
明治11年 大久保利通暗殺
明治12年 コレラが大流行
明治13年 官営工場が民間へ払下げ
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 安藤七宝店
明治14年 緊縮財政始まる
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 岩間造園
この年に創業 松本義肢製作所
この年に創業 東郷製作所
明治15年 板垣退助暴漢に襲われる
明治16年 欧化を推進、鹿鳴館外交始まる
明治17年 自由民権活動が激化
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 村上化学
明治18年 伊藤博文、初代首相に
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 福谷
この年に創業 服部工業
明治19年 ノルマントン号事件起きる
明治20年 豊田佐吉、発明家として歩み出す
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 林市兵衛
この年に創業 折兼
この年に創業 鶴弥
この年に創業 柴山コンサルタント
明治21年 正岡子規、ベースボールに夢中
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 鈴木政吉
この年に創業 ニイミ産業
この年に創業 丸川製菓
明治22年 大日本帝国憲法発布
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 坂角総本舗
明治23年 教育勅語発布
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 ヒノキブン
この年に創業 笹徳印刷
この年に創業 ワシノ機械
明治24年 ロシア皇太子、斬られる
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 河田フェザー
明治25年 第二回総選挙で、政府が選挙妨害
明治26年 御木本幸吉、真珠養殖に成功
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 奥田正香
この年に創業 西脇蒲團店

第2部 日清・日露戦争時代

第3部 明治後期

第4部 「旧町名」を語りながら