柄杓は、神社で水を飲む時に使うものだが、その製造から始まった住宅会社がヒノキブンだ。
酒井家の先祖は、信長の時代に長島の一向一揆でお寺と一緒に戦った。江戸時代は、代々、檜物屋文右衛門(ヒノキブンという社名の由来)を襲名して、家で柄杓を造っていた。そして、明治23年(1890)に現在地に工場を造り、経木・蓄電池の部品を製造し始めた。この時をもって創業としている。
そして、三代目の清一の時代になると、今度は薄板(折箱)の仕事を始めた。全国を回り、釜山にもお客様がいたそうだ。戦時中は、滋賀県に疎開し、木材の航空機部品も作った。
四代目の文雄は、戦後の混乱期に苦労しながらも逞しく生き抜いた。戦後職人がいないにもかかわらず、進駐軍向けに洋家具の木材加工を始めた。
昭和30年代になると、スチール家具のカタログ販売が普及し始め、注文家具の仕事が減った。そんな頃、営業に出向いたのが大和ハウス工業だった。大和ハウス工業は、当時〝離れ〟であるミゼットハウスを売っていた。採算の厳しい仕事だったが、なんとかコストが合うようになると、今度はミゼットハウスが生産中止になった。自社に販売部門が無かったため、販売先を開拓したことが、現在のハウス部門の始まりだ。
昭和40年代になると住宅の量産化の時代に入り、内装間仕切パネルの製造を同社が受注した。その後は、自治体の内装パネルの指定工場となり、主力事業となった。この仕事は公共工事の減少で撤退したが、現在はツーバイフォー住宅パネル製造部門に引き継がれている。
現在の社長は酒井文和氏で、平成22年(2010)に六代目に就任した。若い社長が力を入れるのは、エコ住宅だ。
本社は、名古屋市西区名西1‐16‐10。
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