まず写真をご覧頂きたい。義足をはいた男性、この人が松本義肢製作所の創業者・松本豊治である。
松本義肢製作所、その名は一般的には知られていないかもしれないが、整形外科の医師の世界では著名な存在だ。名古屋大学医学部など、地元の医療関係者の間で絶大な信頼がある。
松本義肢製作所は、明治38年(1905)の創業だ。創業者の豊治は、明治14年に愛知県東春日井郡沓掛村(瀬戸市)で生まれた。父は村長だったというから、裕福な家庭だったのだろう。その豊治の人生を変えてしまったのが病気だった。詳しい原因は不明だが、豊治は病気に罹り、右大腿切断手術を受けた。明治31年、17歳のことだった。17歳といえば、多感な青春時代であり、豊治の受けたショックは大きなものだったろう。
だが、人生は何が幸いするかわからない。豊治はこれが契機になって義足の研究に没頭するようになった。そして大腿切断手術を受けてから7年後の明治38年、豊治は松本義手義足製作所を創業した。創業の地は名古屋市片端町(現・名古屋市東区東片端町)で、たった数坪の広さでの船出だった。
豊治の作った松本義手義足製作所は、大正10年(1921)には松本義手義足製造合資会社となり法人化した。だが、豊治はいたずらに規模拡大を目指さなかった。仕事は増える一方だったが、豊治は頑固一徹の職人気質で一つずつ丁寧に作った。
その豊治の後継者になったのは、従兄弟にあたる松本武だった。昭和18年(1943)には社長になった。松本義肢は、戦前から戦中にかけて、名古屋帝国大学医学部における整形外科の発展と歩調を合わせるかのように需要が伸びたが、原材料不足に悩まされ続けた。
敗戦後、松本義肢は成長期に入った。昭和35年には本社を名古屋市東区飯田町3丁目(現・泉3丁目)に移し、これを機に改組して、株式会社松本義肢製作所が発足した。社名には、創業者豊治の義肢製造にかける思いが込められていた。
武は、昭和47年に亡くなった。73歳だった。武は社長でありながら、名古屋大学をはじめとする病院へ、先頭に立って営業をしていたので、葬儀には親交のあった整形外科の医師が次々に弔問に訪れた。
武の後継者になったのは、その長男耕治だ。耕治はQCサークルの導入、海外との交流、給与制度の一新など、会社の組織化、経営の近代化を進めた。
現社長の芳樹氏は、耕治の長男だ。所沢の国立身体障害者リハリビテーションセンター学院で学んだ後に、日本聴能言語福祉学院での教職を経て、平成11年(1999)に社長に就任した。
松本義肢製作所は、愛知県小牧市大字林210‐3。
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