大須で明治14年(1881)に創業したのが岩間造園だ。初代の岩間銀次郎は、慶応2年(1866)生まれ。大須の裏門前町63番地で、造園業者に植木や庭石、灯籠などを売る店を始めた。若干16歳だった。
初代の後を継いだのは、長男の兼吉だった。兼吉は明治21年生まれだった。屋号は萬松寺の「萬」と兼吉の「兼」をとって「萬兼」にした。もっとも職人さんたちからは晩まで働くので〝晩兼〟と揶揄する向きもあったとか。岩間造園は、大須が繁栄してくると、手狭になったので、大正末に鶴舞公園の南側(現・県勤労会館の近く)に移転した。
二代目兼吉は病気がちだったので、その妹の「鈴」や「きぬ」が家を盛り立てていく時代が続いたが、その後を継いで三代目の当主になったのが久七だった。久七は創業者銀次郎の三男で、二代目兼吉の弟だ。久七は後を継ぐとともに、事業内容をガラッと変えた。庭師相手に植木や庭石、灯籠を売る仕事を止めて、造園業に転じた。場所も現本社の名古屋市瑞穂区中山町6‐3‐22に移転した。昭和26年(1951)に合資会社、42年に株式会社にした。
久七は戦時中に仕事が激減したが、厳しい時代を乗り越えた。戦後は、GHQの仕事が大量に発注されるようになり、造園業界が潤った。造園業者の中には当時は旨みのあった官庁の仕事専門になるところが多かったが、久七はチャレンジ精神が旺盛で、利幅の低いゼネコンの仕事も取るようにした。昭和36年頃に名神高速道路の伊吹PAの仕事も受注した。また植栽だけでなく、土木工事も含んだ公園工事、住宅のエクステリア工事までできるように幅を広げた。
久七の後を継いで昭和56年に社長になったのは、その長男岩間久爾氏(現会長)だ。久爾氏は社長に就任して以来、造園業を基軸に本業を守り固めてきた。現在では、県下の造園業界では指折りの規模を誇るまでになっている。
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