明治新政府は旧幕府、各藩の発行した一切の通貨を引き継いだため、その整理は最大かつ緊急の課題だった。明治4年(1871)に貨幣に関する初の法律である新貨条例が制定された。従来の両は、円に改められた。10進法を採用して、1円の100分の1が銭、1銭の10分の1が厘になった。
新政府は緊急の必要に応じるため、各種の紙幣を発行した。これらは「太政官札」など色々な名称で呼ばれていたが、いずれも「不換紙幣」(金との引換え・交換できない紙幣)であり、増刷されるに伴って価値は大きく下落していった。
明治政府が明治元年に発行した「太政官札」は、日本で最初の全国に通用する紙幣で、額面は十両・五両・一両・一分・一朱の五種類だった。まだ発行当初は、額面単位が徳川時代に用いられていた「両」のままだった。
この明治4年(1871)は、廃藩置県が行われた。
廃藩置県とは、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した行政改革である。
明治政府は、在東京の知藩事を皇居に集めて廃藩置県を命じた。王政復古に次ぐ第2のクーデターであった。藩は県となって知藩事(旧藩主)は失職し、東京への移住が命じられた。各県には知藩事に代わって新たに中央政府から県令が派遣された。
これまで藩に属していた家臣たちは、禄米を政府から与えられることになった。
新政府は、廃藩置県に伴う負債の整理も断行した。諸藩が過去に負った借金は棒引きにするという乱暴な整理だった。債務の大半は、大阪商人たちが貸していたものだった。この処分によって大阪の商人は破産に追い込まれた。
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