薩長が独占する藩閥政府に反発して、自由民権運動はますます激化していた。
自由党急進派は政府の厳しい弾圧にテロや蜂起も辞さない過激な戦術をも検討していた。また、松方デフレ等で困窮した農民たちも、不満をつのらせていた。
こうした背景のもとに明治14年には秋田事件、明治15年(1882)には福島事件、明治16年には高田事件、明治17年には群馬事件、加波山事件、秩父事件、飯田事件、名古屋事件、明治19年には静岡事件等と全国各地で騒乱事件が頻発した。
この自由民権運動は、明治23年の帝国議会開設頃まで続いた。
真之は、大学予備門に受かるだけの自信があった。だが、子規の方は心もとない様子だった。その子規もめでたく合格した。
好古は帰ってくるなり試験の合否を聞いた。
真之は、まず子規が受かったことを告げ、そのあとに自分も合格したことを報告した。好古は祝杯だといって酒を勧めたが、二人とも飲まないので、結局、好古が一人で飲むことになった。
こうして、真之と子規は、ともに大学予備門に入学した。
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