明治時代の名古屋の町名は、本町の南側が玉屋町 (三菱東京UFJ銀行の近辺)となり、さらに広小路を境にして、鉄砲町となっていた。鉄砲町とは、慶長年間の清須越以来の町名で、清須の町で鉄砲を製造する職人が住んでいたので、鉄砲町と名づけられた。
その鉄砲町で、寛文9年(1699)から鉄類を扱ってきた商家が笹惣(現・岡谷鋼機)である。
その笹惣も、経営不振に苦しんだ時代があった。その笹惣の再建に取り組んだのは、九代目の岡谷惣助真倖だ。
真倖は嘉永4年(1851)に生まれた。家督を継いだのは慶応3年(1867)で、まだ若かったが、維新の動乱時に時代の変化を見越した商いで巨富を得た。家業の建て直しに成功した。
真倖は、家業のみでなく、名古屋の財界に大きな足跡を残した。愛知銀行(東海銀行の前身の一つ)を設立して初代頭取に就任したり、貴院議員に当選したりするなど多彩な活動をした。
現社長の篤一氏は、そのひ孫にあたる。なお、岡谷家と伊藤家は、何代にもわたって婚姻関係がある。
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