幕末は、ハイパーインフレに襲われた。そのインフレは、明治の世になっても収まらなかった。西南戦争(明治10年、1887)が起こったのが大きな原因だ。
当時の大蔵卿・大隈重信は、積極財政を維持して外債を発行し、そこで得た銀貨を市場に流して不換紙幣を回収すれば安定すると主張した。一方、松方正義は、明治維新以来の政府財政の膨張がインフレの根本原因であって、不換紙幣回収こそが唯一の解決策であると唱えた。
明治14年(1881)の政変で大隈が政府から追放されると、松方正義が大蔵卿に任命されてインフレ対策の責任者となった。明治14年は、それまでに発行された国債の利払いが膨らみ、国債費が軍事費の倍以上で、総予算の4割を占めるまでになっていた。
松方が躍起になったのは、紙幣の発行高を減らすことだった。不換紙幣を回収・焼却処分にし、明治15年に日本銀行条例を公布して日本銀行を設立した。そして国内的に余裕があった銀貨に基づいた銀本位制の導入を目指した。
松方によるデフレ政策は、恐慌をもたらした。企業および銀行の倒産が続出した。繭の価格や米をはじめとする農産物価格の下落を招き、農村の窮乏を招いた。
佐吉は、自著『発明私記』の中で、こう著している。
「明治14、5年ノ頃、15、6歳ノ時ヨリ、人間タルベキモノノ為スベキ事ヲ、百方考慮シタリ。而シテ幸ニ此ノ世ニ生ヲ受ケタル以上、何カ有意義ニ一生ヲツクシタシト、稚心ニモツクヅク国家ノ事ヲ思ヒ、国家ノ為ニ尽サンニハ、如何ナル事ガ最モ良キカト考慮セシ。」
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