著者などは、子どもの頃に「オレンジマーブルガム」をよくかんだものだ。これを作っているのが明治21年(1888)創業の丸川製菓である。
丸川製菓のルーツは、明治維新の頃に遡る。創業者は川島新助といい、栄生付近で「近江屋」という屋号で天秤棒を担ぎ、甘酒を売っていた。その新助は明治21年、げんこつ飴の製造販売に転業した。げんこつ飴とは、大豆を原料としたきな粉から作られた飴菓子。丸川製菓はこの年をもって創業としている。
創業者は明治33年に亡くなった。残されたのは、まだ12歳だった長男錠太郎。店員と弟を抱えて家業を継いだ。この二代目錠太郎は、げんこつ飴のほかに、落花生と砂糖水飴を煮詰めて板状にした「落花板」というお菓子も商品化し、大いに売り上げた。
この錠太郎の長男として、大正2年(1913)に生まれたのが故好雄だ。好雄は三代目になり、丸川製菓に飛躍をもたらした中興の祖になる。
昭和20年(1945)、名古屋は空襲で焼け野原になった。敗戦とともにGHQが進駐してきた。そこで見たのは米兵が口にするガムだった。好雄はガムに活路を見出すことにした。当時はまだフーセンガムの出始めだったので、好雄もそれを作った。
「オレンジマーブルガム」の発売は昭和34年だという。何と50年以上経った今日でも同社の屋台骨を支える主力商品になっている。コンビニチェーンの店舗を覗いてみると、今でもしっかり売られている。
丸川製菓はフーセンガム専業の菓子メーカーとして、今日でも確固たる地位を築いている。本社は創業の地である西区新道1丁目(昔の町名は藪下町)に置いているが、主力工場は小牧にある。
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