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第1部 幕末の部/その10、薩長同盟成立

その時、名古屋商人は

岡谷鋼機が職務分掌「亀鑑」制定

 笹屋は慶応元年(1865)、七代目惣七が「亀鑑」と名付けた掟を定めた。この「亀鑑」は、後世でいうところの職務分掌だ。その内容は「帳簿は毎夕仔細に点検し、万一間違いを発見した場合は直ちに解決すること」などとこと細かく決められており、周到に作られている。笹屋はすでに、店員の人数が増えて大手になっていたので、ここまで決める必要があったのだろう。

 『岡谷鋼機社史』によると、「亀鑑」は小僧を除く店員の階級を6段階に分けている。下の階級のものから順番に説明すると、次のようになる。

 ①二系 ― 日常小僧の勤務状況に注意し、もし不らちな行為や、あやまちのあった場合は、毎夕用向きの終わったあとに諄々と戒め、習字算盤は懈怠なく気長に教えこむ責任をもつ。

 ②三倆 ― 倉庫の出入商品の責任を有し、毎朝庫内を見廻り荷くずれを直し、包装の乱れたものはこれを直し、荷造りせぬ品が放置されている時は、直ちにこれを庫内におさめる。そして常に在庫品の多寡に注意し、品薄の物あれば其係へ報告する。

 ③四領 ― 毎夕用向き終了後、倉庫の鍵をはじめ、店内すべての鍵を確認し、万一、一個でも不足の場合は、あくまでこれを探し出して所定の場所へしまう。

 ④支配並 ― 金銀の出入を記帳、請取、支払、共同役立合の上確認する。また倉庫全部を日夜見廻り、もし不審のある時は後見と相談のうえ処置する。職人への出入品は一切自分一人の判断で出し入れを禁じ、帳簿へ記入してから扱うべきこと。

 ⑤当支配 ― 全店を取締る責任者、出入職には失礼のないよう気を配り、売買の各帳は毎晩点検をし誤りなきよう注意する。判取帳、荷渡帳などの員数に間違いないかを係の者に確認させ、先方の判落ち或は不正の有無をとくに注意する。新規の売買先は一々後見に相談して行う。金銭の出入りはすべて同役に打合せたうえ行い、いずれかの一人に尋ねても直ちに返事のできるよう心得置くこと。商品の注文は余分にならぬよう後見と相談して行う。

 ⑥後見 ― 内外の取締は油断なく、使用人については小僧に至るまで充分心掛けるべし。また店用の出入り人、荷造り、飛脚など手不足になりたるときは、前日までに調べ手配すること。金銭出入の帳簿引合わせは、毎日落なく入念に取調べ合判をすること。注文品については、その係より内容をよく聴取して取扱うこと。帳簿は毎夕仔細に点検し、万一間違いを発見した場合は、翌日先方へ連絡して直ちに解決すること。

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第1部 幕末の部

その1、龍馬暗殺
その時、名古屋商人は・・・
明治維新を迎えた時の名古屋の富商の顔ぶれ
生き残った商人はどこか?
生き残りの秘訣は土地への投資?
名古屋商人に学ぶ“生き残りのための5カ条”
その2、ペリー来航
その時、名古屋商人は・・・
いとう呉服店十三代当主祐良が写経に励みながら幕末を乗り切る
「笹谷」という屋号だった岡谷鋼機
この頃創業した会社・「頭痛にノーシン」株式会社アラクス
この頃創業した会社・中外国島
名古屋の渋沢栄一と呼ばれる奥田正香が誕生
その3、安政の大獄
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安政の大地震で被災した、いとう呉服店上野店
この頃創業した会社・藤桂京伊株式会社
この頃創業した会社・労働安全衛生保護具のシマツ
その4、吉田松陰 松下村塾を開塾
その時、名古屋商人は・・・
安政3年になると商人達も悲鳴
その5、篤姫、将軍家定に嫁ぐ
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その6、安政の大獄から桜田門外の変へ
その7、龍馬脱藩へ
その時、名古屋商人は・・・
この頃創業した会社・繊維の信友
この頃創業した会社・師定
この頃創業した会社・角文
その8、新撰組、池田屋事件
その時、名古屋商人は・・・
この頃創業した会社・タキヒヨーから独立した瀧定
その9、高杉晋作決起
その10、薩長同盟成立
その時、名古屋商人は・・・
十四代目当主祐昌の時代に入ったいとう呉服店
岡谷鋼機が職務分掌「亀鑑」制定
その11、大政奉還の大号令
その時、名古屋商人は・・・
岡谷鋼機「妻子を失い失意のどん底になった兄」に代わって頑張った九代目当主
豊田佐吉、誕生する
その12、江戸城無血開城
その時、名古屋商人は・・・
明治維新を迎えても続いた商人の苦悩

第2部 江戸時代初期の部

第3部 江戸時代中期の部

第4部 江戸時代後期の部

第5部 特別インタビュー