ペリー来航の3年前にあたる嘉永3年(1850)に創業したのは、毛織物を中心とする紳士服地・婦人服地の中外国島だ。中外国島を創業したのは、初代国島武右衛門である。初代武右衛門は、天保5年(1834)に尾張国中島郡北今村(現・一宮市北今)で生まれた。嘉永3年の創業時は織機業であったが、慶応2年(1866)からは農家の子女が織機業を営むことが多かったことから問屋業も始めた。時代は江戸から明治に移り、武右衛門は西南の役における繊維製品の特需をつかむなど、富国強兵・殖産興業という国策にも乗った。
武右衛門は、明治23年(1890)に起町(現・一宮市西部)に地所を買って営業所を新築するとともに、二代目武右衛門に後を任せて、自らは隠居した。翌年の明治24年に濃尾大地震が起きた。中外国島は工場機械が破損して苦悩する機業家が多い中で、製品の現金買い入れを行い機業家の経営支援を行った。
尾州の産地は、日露戦争以降に絹綿交織物の全盛期を迎え、大正初期まで好調だった。中外国島もその波に乗って成長した。大正8年(1933)に株式会社国島商店を設立し、大正13年には直営工場である中外毛織株式会社を設立した。「中外」は「国の内外に発展」の意を込めて大正時代に流行した言葉だった。
中外国島株式会社は、その株式会社国島商店と中外毛織株式会社とが合併して出来た会社だ。現在は、毛織物を中心とする紳士服地・婦人服地、その他の製造・販売および輸出入を行っている。創業家は、国島家だったが、その縁戚にあたる家として、後藤家と伊藤家があった。現在の社長は伊藤核太郎氏で、39歳。今年トップ交替を行ったばかりで、伊藤正樹社長は会長になった。
著者は、伊藤正樹会長に「会社が残った理由は?」と尋ねてみた。答えは「変化への対応」。伊藤正樹氏は平成6年(1994)に社長に就任した。翌年の平成7年に上海に現地法人を設立、中国に進出した。この行動力が今日の発展につながっている。伊藤正樹会長は「繊維産業は、山あり、谷ありの業界。当社の歴史も困難の連続だった」としながら「グローバルな行動力は、戦前から流れている当社のDNA。日本と中国を生産拠点として、これからもさらに世界に販売を伸ばしていきたい」と意気込んでいる。本社は一宮市大和町馬引字焼野48。
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