この幕末の動乱期に名古屋商人はどうしていたのかが気になるところである。ここでは代表的な名古屋商人といえる伊藤家(後の松坂屋)を紹介したい。当時、伊藤家は既に全国に店舗を持つ指折りの大手呉服店になっていた。
いとう呉服店は幕末の大動乱を見事に乗り切ったが、その当時の当主は十三代祐良だった。この祐良が当主になる少し前からの経緯を説明しよう。
祐良の父である第十二代当主祐躬は、商運が極めて強かった。だが彼は、文政4年(1821)から文政5年にかけての1年間に、妻と娘夫妻を失うという悲劇に見舞われた。娘の子文次郎を養育した祐躬は、文政10年に死去した。
祐躬の死後、文次郎は祐良と改名して伊藤家を相続し、十三代目の当主になった。その時、祐良はまだ6歳だった。いとう呉服店は、文政12年に神田から出火した文政の大火によって、江戸の大伝馬町亀店(かめだな=上野店の支店)が類焼した。天保5年(1834)には再び神田から出火した甲午火事で、またもや亀店が焼失した。
だが、このような不運に見舞われながらも、いとう呉服店は継続していった。幼い当主を懸命に支えたのは「別家衆」をはじめとする店員だった。別家衆とは主家を支える番頭制度で、五代目の祐寿が定めたものだ。別家衆という制度は、元締支配人などの重職が一定期間で交替し、合議することで一人に権限が集中するのを避けながら、江戸時代末期になっても機能していた。
天保5年に13歳となった祐良は、次郎左衛門を名乗るようになり、その後店の発展に力を尽くすようになった。伊藤家は同年、藩から年貢が免除される除地を12町歩拝領し、呉服所名目、苗字帯刀が許された。そのほか年頭披露御目見や居宅永々諸役免許の特典を与えられた。天保12年には、伊藤次郎左衛門が勧進元を務める「名古屋分限角力見立」が作られた。このように御用達商人としてのランクが上がるのは、商売が順調であることの証だった。
しかし、天保13年以降、老中水野忠邦が進めた厳重な倹約令によって、江戸上野店の売上が急に2割以上も落ち込んだ。以後、万延元年(1860)までの17、8年間は、天保12年の売上高に戻ることができなかった。
こうした状況にもかかわらず、いとう呉服店は幕府や尾張藩に度々御用金を上納した。そのお陰で嘉永6年(1853)には、名古屋城に登城してお庭拝見を許され、酒、さかな、掛け物3幅を賜った。
祐良は、幼い時に両親を亡くしたこともあってか、信仰心が強かった。幕末という世情不安定な時期、祐良は商いに励む一方で、写経にも熱心であった。祐良は天保11年、長栄寺の実戒律師から勧められ、大般若経六百巻の書写を思い立った。天保13年から21年間をかけて写し終えたあと、妻の実家岡谷家のために四百巻の写経を始めた。祐良は天保9年、岡谷宗純の娘やす(のち改め露)を妻として迎えていた。祐良は書写を終えた明治24年(1891)に没した。
幕末に入ると、過酷な事件が次々と伊藤家を襲った。江戸の上野店は安政2年(1855)の大地震による火災で全焼した。各所から火の手が迫る中、仏壇の本尊と表看板、箪笥3本をようやく運び出せただけだった。また、長州藩と会津・桑名・薩摩藩が衝突した禁門の変が元治元年(1864)に起きた。京都全域が火の海となり、京都店も全焼した。
戊辰戦争にも巻き込まれた。慶応4年(1868)、上野の山中で幕府側の彰義隊と大村益次郎が指揮する官軍が戦った。官軍の本営はいとう呉服店上野店内に置かれて、ここで彰義隊攻略の軍議が行われた。この戦のために、上野一帯が丸焼けになった。上野店は官軍の本営に用いられたこともあり、ただ一軒焼け残った。
社会は混乱し、不況のため民衆の暮らしは困窮した。大名は国元に帰り、江戸の町には浪人が増え、商いはますます厳しくなった。[参考文献『名古屋の商人 伊藤次郎左衛門 呉服屋からデパートへ』(名古屋市立博物館)]
コラム
意外なことかもしれないが、後に新撰組で活躍する土方歳三は、ペリーが来航する前の嘉永4年(1851)頃、いとう呉服店の上野店で、働いていた。松坂屋のサイトには〈歳三の青春 新選組副長の土方歳三は、17歳のとき、上野店の支店の木綿問屋亀店(かめだな)で働いていました。また、11歳のときには上野店で丁稚奉公をしています。このとき覚えたものか、「トシさんは物差し使いがうまい」と近在の人々が噂していたそうです〉と紹介されている。
土方がいとう呉服店上野店にいた年代は詳しく分かっていないが、14歳ぐらいからだとみられている。17歳の時には亀店で一緒に働いていた年上の女性を妊娠させてしまい、問題を起こして日野に戻ったという話も伝わっている。イケメンだったから、女性にはもてたのだろう。
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