美濃街道といえば、天下人である信長・秀吉・家康らが凱旋したため出世街道と呼ばれているが、その街道沿いにご自宅があるのは酒の藤桂京伊株式会社社長の伊藤誠朗氏だ。
伊藤誠朗氏の邸宅は、道路からは中が見えにくいが、入れてもらうとビックリ。安政時代に建てられた酒蔵が建っている。酒蔵の横にはお蔵もあって、お宝がいっぱい詰まっている様子。横を見るとお堂まである。立派な門があるが、聞けば昔尾張藩士の家にあったものらしく、馬上で通過できる大きさ。
いかにも由緒正しきお家柄の伊藤家だが、その祖先は朝鮮半島からの渡来人だとか。稲沢市にある本家は42代続いた旧家で、その36代目の次男伊藤伊助が安政元年(1854)に酒造業を創業した。
伊藤誠朗氏は商売が好きで、一日も早く商売をしたいので大学に進まず、高校を卒業して東京のアパレル会社に就職し、そこで7年営業を学んだ。独立して商売をするつもりだった。ところが兄が会社を継がないことになり、次男だったが家に戻ることになった。そして四代目の当主になった。
伊藤誠朗氏は名門酒蔵の跡継ぎというわけだが、そのバイタリティーには驚く。まず凄いのは歩くスピード。著者は51歳で歩く早さには自信があるが、その著者が驚いたほどで、とにかく早い。69歳だが、まったく年齢を感じさせない。大きな会社になった今でも、毎日店を回っている。一日で回るのは10店舗ほどで、それも自らライトバンを運転する。「やはり現場を見て回らないとわからないよ」と語る。
酒の総合専門チェーン「酒ゃビック」を経営する藤桂京伊株式会社は、今では100店舗近い店を持っている。売上高は300億円で、東海地区の酒の小売業では最大級だ。正社員200人、パートタイマー300人で、合計500人の従業員が働いている。
この小売業を始めたのは、現社長の代だ。現社長が家業に戻った頃は、本業が斜陽化していた。これではだめだと、昭和40年(1965)頃から小売業に参入した。大きな転機になったのは、昭和50年に一宮のサンテラスユニーで店舗を出したことだった。当時、酒は配達商品だったし、掛け売りが普通だった。だから大方の予想はショッピングセンターに出店しても売れないはず、となっていた。
だが、キャッシュ・アンド・キャリーで、現金でお持ち帰りいただくという売り方は革新的だった。開店してみると、予想に反して飛ぶように売れた。モータリゼーションの到来を見越した社長の眼力が当たったわけだ。この出店の成功がきっかけになって、昭和50年代に出店攻勢を一気にかけた。平成元年(1989)から酒の販売が自由化され、抽選によって権利が与えられた。「どういうわけか私がクジを引くと当たった」とか。どこまでも強運のようだ。
この頃、酒類業界には大きな転機が訪れていた。洋酒の大衆化が訪れ、サントリーのオールドが大人気だった。容器革命も起こり、紙パックの清酒とか、缶ビールが普及し始めていた。その波にも乗った。
酒の販売量は、最近は一般的に右肩下がり。だが、伊藤誠朗氏は常に強気だ。「まだ出店の余地はある」「商圏は4から5キロだから、その中でのシェアを引き上げれば良い。ローコスト経営に徹することだ。それによって安く提供できるようになる」と力こぶ。これからの夢は、酒蔵の復活だ。酒造りは昭和40年代で中止してしまったが、それを再開したい。だから夫婦で手間を惜しまず古くなった酒蔵の修繕に精を出しているほど。「自社ブランド『京屋伊助』を復活させたい」と想いをかけている。本社は、自宅近くの稲沢市井之口親畑町147。
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