第5部 特別インタビュー

岡谷鋼機
――「地道に続けること。それが名古屋商人の商い」と語る岡谷篤一社長

岡谷鋼機社長、岡谷篤一氏岡谷鋼機社長、岡谷篤一氏

―― 岡谷鋼機がこんなに長く続いてきた理由は何だったのですか?

岡谷 まあ、ラッキーだったのでしょう。だって、交通事故で今死ぬかもしれないでしょ。無事でいられること自体がラッキーですから。

―― 老舗はマンネリ化することもあると思いますが、どうやって緊張感を維持できたのですか?

岡谷 常に社内では「8割は新商品や新規顧客で占めなければならない」と言ってハッパをかけている。時代に合わせて変わってきた。

―― 岡谷鋼機は過去にピンチだったことがあるのですか?

岡谷 長い歴史の中では色々あったと思うが、私の知る限りでは、倒産の危機に瀕したことはない。ただ、終戦直後に財閥指定を受けそうだった。規模が小さかったので免れたが、指定を受けていたら大変なことになっていただろう。

―― 「名古屋商人」という言葉がありますが、いわゆる名古屋商人とはどんな人ですか?

岡谷 名古屋商人はコツコツとか堅実という言葉がよく似合う。商いは飽きずにコツコツ続けることだ。

―― 残る会社と残らない会社の違いは何ですか?

岡谷 地に足が着いた商いをしているところが残っている。地に足が着くとは、地道にやっていることだ。仕事とは地味な毎日の積み重ねだ。粘り強く続けることが何よりも肝要。

―― 名古屋商人と、例えば大坂商人とではどこが違うのか? 江戸時代の商都といえば、大坂・京都・江戸が大きかった。特に大坂に豪商が集まっていた。だが、大坂の豪商は、幕末から明治維新にかけてバタバタと倒れた。大名に高利で金を貸す大名貸しをしていたが、版籍奉還で藩がなくなり、踏み倒されたからだ。だが名古屋商人は、残ったところが案外多い。

岡谷 名古屋商人は、顔の見える相手に売っている。いわゆる政商のようになって活躍する人は少ない。本業に専念してコツコツとやっている。いわゆる博奕のような一発勝負はしない。それをやったところは消えていると思う。

―― これをやったら潰れるという注意点を挙げるとすれば?

岡谷 一攫千金なんて狙わない方が良い。バブル時代には、私のところにも土地を買わないかという勧めがしきりにきた。だが、私は一切手を出さなかった。だから無事に済んだ。

―― 岡谷鋼機は株式上場しているが、愛知は未上場の優良企業が多い。オーナー経営の良さとか強みもあるのでしょうね?

岡谷 オーナー経営者は、10年とか20年という単位で考える。それが強みだと思う。

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