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第1部 幕末の部/その7、龍馬脱藩へ

その時、名古屋商人は

この頃創業した会社・繊維の信友

 繊維商社の信友株式会社は、文久2年(1862)の創業だ。

 信友の創業者である初代近藤友右衛門は、「信濃屋」の屋号で尾張藩御用達の綿糸商として、明治元年(1868)の6年前にあたる幕末動乱の時代に商いを始めた。「信濃屋友右衛門」と呼ばれた創業当時の通称が現社名「信友」の由来となった。

 会長の近藤久二氏が「あまり古い資料が残っていないが」としながら見せてくれたのは、「信道会館創立八十周年記念誌」というもの。これは浄土真宗の会館で、初代が創立に貢献したようだ。その資料によると、こう記されている。

 初代の近藤友右衛門翁は、天保3年(1832)、美濃国高須西町で生まれた。幼少期に父を失い、9歳にして名古屋の商家に雇われ、丁稚奉公を始めた。22歳にして、名古屋の下町である上畠町に呉服古着の暖簾を掲げた。そして文久2年、31歳の時に居を上町である伝馬町に移して新たに雑貨商を営み、名古屋藩の御用達になった。これが信友の始まりだ。

 開国後、舶来品が国内に進入してきた。初代の近藤友右衛門翁は、新政府の樹立以前から物情騒然たる横浜に出て、外国商人から唐糸や新しい織物を仕入れ、名古屋で販売した。お陰でたちまち財をなし得た。

 だが、このような商いは、尾張藩の尊王攘夷派・金鉄組の怒りを買った。金鉄組は、紅葉屋重助を襲い、次に信濃屋友右衛門にも斬り込んだ(現在の会長の近藤久二氏は「斬り込まれそうになっただけで実際には斬り込まれていない」という)。初代の近藤友右衛門翁は逃れ、事なきを得た。

 明治の世になり、初代の近藤友右衛門翁は、綿糸商として大躍進した。明治23年には、海防費として金1千円を献じた。明治24年には、神戸港で大観艦式が挙行され、艦上参観を許された。

 濃尾大地震は明治24年に起きた。浄土真宗の信道会館が完成したのもその年で、初代の近藤友右衛門翁は多額の寄進をした。初代の近藤友右衛門翁は、明治37年に逝去した。

 二代目の近藤友右衛門翁は、明治7年の生まれ。名古屋商業学校から慶應義塾に学び、福沢イズムの教育を受けた。明治39年には名古屋商業会議所議員となり、蚕糸業視察のため中国を旅行した。大正6年(1917)に「株式会社信友商店」として会社を設立した。大正7年の米騒動では、率先して10万円を寄付した。大正9年には、紺綬褒章を受けた。

 現在の会長の近藤久二氏は五代目にあたる。次のように抱負を語っている。

明治時代の信友の店明治時代の信友の店。当時は伝馬町
(現・名古屋市中区錦)にあった

 「明治維新という大変革の時代に、海外の商品を取り扱った創業者の進取の気性を受け継ぎ、信友は我が国繊維業界の先駆けとして、時代の先端を歩み続けてきた。その革新を志向する社風は、今も変わることなく流れている。明治の時代から中国をはじめとする海外生産の拠点作りを進め、繊維産業の黎明期から成長期、混乱期、成熟期を経て二極化の現代に至るまで、力強さを失わずにプロ集団として行動してきた。綿・麻などの天然繊維からナイロン・ポリエステルなどの化学繊維までの繊維原料、さらに衣料用から寝具・資材用の各種テキスタイル、アパレル・寝装製品・産業用資材製品などの繊維製品を取り扱うことにより、お客さまに必要とされる企業でありたい」「いたずらに会社を大きくすることなく、きちんと守っていきたい」

 本社は名古屋市中区栄2‐11‐30。現在の事業内容は、繊維専門商社で、生活に密着したさまざまな繊維の国内販売・輸出入・三国間貿易をしている。

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第1部 幕末の部

その1、龍馬暗殺
その時、名古屋商人は・・・
明治維新を迎えた時の名古屋の富商の顔ぶれ
生き残った商人はどこか?
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明治維新を迎えても続いた商人の苦悩

第2部 江戸時代初期の部

第3部 江戸時代中期の部

第4部 江戸時代後期の部

第5部 特別インタビュー