恐慌などの大きな混乱が起きると、その対応をめぐり、明暗が生じるものである。松坂屋のルーツいとう呉服店の場合は、まさに「明」といえるだろう。
いとう呉服店は、積極的かつ堅実な経営を続けていたので、財務内容が健全だった。だから恐慌になっても慌てることがなかった。
いとう呉服店は、資本金を500万円に増資し、手綱をぐっと引き締めながらこのパニックの中を悠々闊歩したばかりか、後に説くように逆にこの危機を利用して、積極的に取引をするという大胆な商法に出た。
今回の物価暴落の最たるものは、生糸、綿糸などの繊維類、つまり呉服、綿布類であった。生糸は4分の1、綿糸は半値弱という目も当てられぬ惨落となった。当然のことながら、いとう呉服店の手持ち商品も3分の1以下に下落し、その損害は思い半ばに過ぎるものがあった。
だが、さすがは名古屋商人の代表といわれるだけのことはあった。逆に積極商策でこの底を突いた値段でどしどし商品を仕入れ、それを薄利多売すればその損害をカバーすることができるというソロバンである。
その頃大阪随一といわれる繊維問屋「丸紅」は、東京に支店を開設すべく、日本橋小舟町に店舗を構え、商品を蓄積してその開店日を待っていた。その直前このパニックに襲われて、開店はできず手持ちの商品は大暴落でにっちもさっちもいかなくなっていた。
その丸紅東京支店の三木支配人は、すぐ上野の松坂屋いとう呉服店へ飛んだ。
「値段はともかく、すぐ金が欲しおますのや」
三木支配人は苦衷を訴えた。そこで松坂屋いとう呉服店の幹部は相談の結果、丸紅支店在庫の商品を全部引き取ることにし、値段は当時の底値よりなお値押して交渉はまとまった。
「おかげで助かります」
それでも丸紅支店としては、恩に切る取引であった。
この丸紅との取引をはじめとして、それからは毎日のように各地の織元、問屋筋が資金に困って「いくらでもいいから買ってください」と泣き込んできた。
このように、いとう呉服店は商品を4月下旬までに買い占めた。そして打って出た。
「さあ、5月1日からの大売り出しが、この冒険の勝負どころだ」
さあ、いよいよ5月1日、運命の大売り出しである。新聞、ポスターあらゆる宣伝物を利用して「最新安値大売り出し」とか「俄然暴落大売り出し」のセンセーショナルな見出しをもって、東京市民に呼びかけた。
この虚を衝いた売り出しは、かえって市民の購買心をあおって、開店前から店頭には人垣をつくり、開扉と同時に雪崩を打って入店、店内はもとより店前も、あとからあとから来店する客でごった返す状態であった。
こんな風に、経済界に大混乱を来したパニックも、いとう呉服店にとってはかえって福となって終わった。まさに面目躍如であった。
〔参考文献『伊藤家伝』〕
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