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大正10年(1921)

チャップリンのサイレント映画
『キッド』が大ヒット

 この年は、チャールズ・チャップリンの映画『キッド』が、ニューヨークのカーネギーホールで公開され、大当たりした。

 あらすじはこんな内容だ。「ロンドンの下町、男に捨てられた若い娘が、赤ん坊の処理に困ったあげく金持ちの車の中に置き去りにする。街の浮浪者チャップリンがその子を拾い育てることになる。5年後、成長した子供はキッドと呼ばれ、ハンチングに破れたセーター姿で登場。チャップリンを助け、インチキ商売に精を出す。そこへ今や人気オペラ歌手の生母が現れて、母子はめでたく再会、チャップリンと共に3人で暮らすことになる」

 いかにもチャップリンらしい純粋さで、ユーモアと愛の溢れる作品だ。暗い時代だったからこそ、世界中の人々は、チャップリンの優しさに感銘を受けた。

その頃、世界は…ドイツでベルサイユ体制打倒を叫ぶ過激派が台頭

 ドイツは、ロンドンで開かれた連合国最高会議で決定された賠償金の支払いに同意した。その額はなんと、1千320億マルクという天文学的な数字だった。この結果、ドイツは毎年20億マルクと輸出額の26%に相当する金額を支払わねばならず、しかも第1回目は25日以内に10億マルクを支払えという過酷な条件が付された。これを拒否すればルール工業地帯を占領するという連合国の恫喝に、ドイツはやむなく同意した。

 ドイツ国内では、ベルサイユ体制打倒を叫ぶ声や、敗戦の原因をドイツ革命を起こした社会主義者たちに求める主張が勢いづく。こうした気運は、帝政の復活を夢見る右翼や保守派に共和政攻撃の格好の材料を与えることになり、2年後の11月には、アドルフ・ヒトラーによるミュンヘン一揆を誘発する。

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発刊に寄せて

序文

大正元年(1912)

大正2年(1913)

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大正9年(1920)

大正10年(1921)

チャップリンのサイレント映画
『キッド』が大ヒット
その頃、世界は ドイツでベルサイユ体制打倒を叫ぶ過激派が台頭
その頃、日本は 原首相、凶刃に倒れる
その頃、名古屋は 不況で繊維企業の淘汰が進む
その頃、名古屋は 上遠野富之助が名古屋商業会議所の会頭に就任
その頃、豊田は 上海工場を法人化して株式会社豊田紡織廠とする
<この年に誕生した会社>
軍靴の靴底金具から靴のトップブランドに発展 マドラス
<この年に誕生した会社>
堅実な夫と節約家の妻で会社を盛りたてる 深田電機
<この年に誕生した会社>
ガラス製のコースターのメーカーとして始まった タケダ
<この年に誕生した会社>
木材の防腐技術を生かして発展
大日本木材防腐

大正11年(1922)

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大正13年(1924)

大正14年(1925)

大正15年(1926)

昭和2年(1927)