狂乱物価に苦しむドイツ国民がベルサイユ体制打倒を叫ぶ中、日本でも重大事件が勃発した。
11月4日、原敬首相が東京駅乗車口(現在の南口)で暗殺された。京都で開かれる立憲政友会の京都支部大会に赴くところだった。改札口近くで、突然短刀を持った青年が原に襲いかかった。その場に倒れた原は駅長室で手当てを受けたが、傷は右肺部から心臓に達しており、数分後に絶命した。現職の首相の暗殺は、憲政史上初めてのことだった。
原は大正7年(1918)に首相に就任した。初の政党内閣誕生である平民宰相の原敬には期待が集まっていた。
元老西園寺公望が、後継首班に高橋是清を推薦し、13日に高橋内閣が成立した。11月25日には、皇太子裕仁が摂政に就任した。
大正9年(1920)の3月に発した反動に基づく物価や株式の暴落は、主要品においては、だいたい同年7から10月の期間においてひとまず底を突き、低迷裏に年を越した。一般物価を示す物価指数は、10年3から4月になってようやく底を突いた。
名古屋株式取引所の市況は、大正10年に入ると金融の緩和、米綿・生糸高から紡績株を中心に上伸したが、9月に大阪市場の鐘紡新株延取引の大反落から諸株一斉不安となり、11月原首相暗殺の凶報、ワシントン軍縮問題の進展等から続落した。年末には、やや好転した。
このように大正9年の反動恐慌に始まり、12年の関東大震災、昭和2年(1927)の金融恐慌、5年の昭和恐慌と連なる「恐慌から恐慌へ」の「慢性不況」の時代に突入した。
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