明治5年(1872)に新橋・横浜間で鉄道が開設され、そこで防腐木材の枕木が採用されたのが、防腐木材の始まりだという。鉄道の枕木は今日ではコンクリートだが、昔は防腐木材が使われていた。
鈴木摠一郎
大日本木材防腐といえば、名証第二部の上場企業だが、その歴史は大正10年(1921)までさかのぼる。前身となる「日本舗装道路株式会社」を東京で設立し、木材防腐事業を開始した。
翌大正11年には本社を名古屋市に移転して「大日本木材防腐株式会社」と社名を変更した。名古屋の材惣木材は、既に大正7年に名古屋枕木合資会社を設立していたが、大正15年には業務提携し、経営に参画した。昭和2年(1947)には、材惣木材の十代目当主である鈴木摠一郎が社長に就任した。
防腐枕木や防腐電柱は、インフラ整備という、まさに〝国造り〟の根幹的な役割を担うものであった。事業は紆余曲折を経ながらも拡大した。だが、そこに戦争という災難が襲った。
会社の入り口に飾られているのは、
防腐剤を木材に注入する際に使用する
注薬缶のふただ。昭和5年に製造さ
れた。大きさは直径2メートル、重量
2トン。当時では珍しい高圧注薬缶で、
全国各地から見学者が来たという。
昭和20年の事業報告書を見ると、「空襲激甚トナリ防腐工場ハ三月十二日以来前後四回ノ空襲ヲ受ケ、六月二十六日建物、機械在庫品及諸施設ノ大部分ヲ焼失」と書かれている。
そして戦後の昭和21年の事業報告書を見ると、「相次グ地震空襲ノ災害ヲ蒙リ防腐工場ハ殆ド灰燼ニ帰シタルモ全社員ノ協力一致ニ依リ物資ノ不足物価ノ暴騰等諸般ノ悪条件ヲ克服シ七月十五日漸ク操業ヲ開始シ得ル」と記してある。戦後は復興需要が拡大し、順調に再建できたようだ。昭和24年には名証第二部に株式を上場した。
だが、昭和30年代になると、枕木や電柱がコンクリートに切り替わるようになる。すると同社はコンクリートの会社を設立し、どちらにも対応できるようにした。昭和40年代半ばに入ると住宅ブームが始まったが、防腐技術を生かして住宅用防腐木材土台を開発して販売した。まさに環境適応の見本のような対応力だった。
摠一郎は戦争という難局をタフに乗り切り、事業を軌道に乗せたうえで、昭和50年に次世代にバトンを渡した。実に49年もの間社長業を務めたわけである。社長は、その後、吉田武雄、鈴木正治と続き、平成7年(1995)から鈴木龍一郎氏が務めている。
社会の変化に柔軟に対応するというのは、同社のDNAとして脈々と受け継がれている。防腐技術を基礎として、現在では輸入木材流通、アウトドア用木材、軸組木造プレカット加工、2×4パネル加工、木材保存剤製品の販売などを手がける総合木材建築資材会社へと発展した。
社長の鈴木龍一郎氏は「時代とともに技術や価値観が激しく移り変わろうとも、弊社は常に、変化に対応し社会とともに歩む〝環境適応企業〟を目指す。変化を恐れず変革を続け、未来を見つめていく企業でありたい」と語っている。
本社所在地は、名古屋市港区千鳥1‐3‐17である。
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