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  3. 第3部 株価暴落
  4. 名古屋銀行が取付騒ぎに遭う

第3部 明治後期/1907(明治40年)

その時、名古屋商人は

名古屋銀行が取付騒ぎに遭う

 株式大暴落は、名古屋銀行にも飛び火した。

後藤新十郎
後藤新十郎

 明治30年代は、名古屋の株屋の世界では、後藤新十郎という男が名を売っていた。日本車輌製造の株を買い占めて乗っ取りを企んだり、派手な仕手戦をやったりしていた。だが、そこに株式大暴落が起き、後藤新十郎も壊滅に近い打撃を受けた。

 その後、後藤新十郎と懇意にしていたのは、名古屋銀行の支配人・杉野喜精だった。周囲は、名古屋銀行が後藤新十郎に巨額の資金を融資しているに違いないとみていた。だから、名古屋銀行危うし、というデマが飛び交うことになった。

 明治40年の1月の大暴落は、どんどん波及した。小栗銀行が株屋への不良貸し出しが原因で5月に破綻し、頭取以下重役が私財を提供して収拾にあたった。銀行は多くのところが休業に追い込まれた。

 その波はとうとう名古屋銀行にも来た。預金を払い出す行列ができた。資金はみるみるうちに底を尽きかけた。名古屋銀行の首脳陣は青くなって、日銀名古屋支店に救援を求めた。だが、日銀の答えは過酷だった。愛知銀行や明治銀行などの保証を得ろというのだ。それがなくては融資できない、の一点張りだった。

 愛知銀行とか、明治銀行とか、宿敵同然のライバルである。そこに頭を下げ、助けを求めるのである。名古屋銀行の首脳陣は、苦しんだ。その結果、頭を下げることになった。

 名古屋銀行の首脳陣は、主に滝一門だった。滝一門は私財を担保に供した上で、ライバル銀行に膝を屈して協力要請を行った。こうして名古屋銀行は危機を脱することができた。その潔さは、名古屋中の評判となって、語りぐさになった。

 また、名古屋銀行の支配人だった杉野喜精は、これを機に名古屋を追われた。東京で証券業を創業し、それが山一証券になっていく。東京株式取引所理事長にも就任した。

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序文

第1部 明治前期

第2部 日清・日露戦争時代

第3部 明治後期

明治39年 戦後の好景気、株式ブームへ
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 山田商会
明治40年 株価暴落
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 ノダキ
この年に創業 ハナノキ
この年に創業 渡邊工務店
この年に創業 江口巌商店
明治41年 アメリカで「T型フォード」が発売
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 安井ミシン商会(現・ブラザー工業)
この年に創業 ヨモギヤ楽器
この年に創業 星野楽器
この年に創業 丹羽幸
明治42年 アメリカで排日運動
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 福澤桃介
この年に創業 松屋コーヒー
この年に創業 タケヒロ
明治43年 石川啄木『一握の砂』刊行
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 キベ
この年に創業 井上
この年に創業 OMC
明治44年 関税自主権回復
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 大竹製作所
明治45年 明治天皇崩御

第4部 「旧町名」を語りながら