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大正13年(1924)宮沢賢治が『春と修羅』、『注文の多い料理店』を出版

その頃、名古屋は…九日会が財界を牛耳る

 明治から大正、昭和初期にかけて、名古屋には財界人が集まるサロンがあった。「九日会」である。


旭会の会員 『写真集 愛知百年』

 九日会は明治27年(1894)に発足した。九日会は、伊藤次郎左衛門祐昌が中心だった。旧徳川家に多少なりとも恩顧のあるものを会員とした関係上、土着商人にとどまらず、神野、滝ら、近在出身商人まで含めていた。

 大正11年(1922)のメンバーは、徳川義親、伊藤次郎左衛門祐民(いとう呉服店)、伊藤由太郎、井上茂兵衛、富田重助、岡谷惣助清治郎(岡谷鋼機)、岡田良右衛門、渡辺喜兵衛、春日井丈右衛門、加藤彦兵衛、神野金之助、瀧定助(瀧定)、滝信四郎(タキヒヨー)、武山勘七、高松定一(師定)、中村与右衛門、吹原九郎三郎、近藤友右衛門(信友)、森本善七(森本本店)、関戸守彦、鈴木摠兵衛(材摠)、青木文治郎となっていた。

 福澤桃介が、第一次世界大戦の頃、名古屋財界の牙城、商業会議所の掌握を狙って抗争した時も、結局、九日会の抵抗にあって成功しなかったように、単なる親睦会の枠を超えた影響力があった。

 九日会は昭和8年(1933)、九日の2文字をあわせて、旭会と改称、再発足した。

その頃、名古屋は…名古屋ロータリークラブが発足

 この大正13年(1924)という年は、ロータリークラブが名古屋で誕生した年であった。

 ロータリークラブは、社会奉仕団体としてアメリカで誕生した。その動きが、日本にも伝わってきた。大正13年の8月に、内外織物の小林雅一常務が伊藤次郎左衛門祐民を訪ねて、名古屋でもロータリークラブをつくろうと呼び掛け、初代会長への就任をお願いした。

 話は順調に進み、その年の12月18日には、名古屋商業会議所でクラブの発会式を開いた。日本で4番目だった。創立時のメンバーは次のとおり。

 会長:伊藤次郎左衛門祐民、副会長:生野団六、幹事:小林雅一、会計:加藤勝太郎(加藤商会)、理事:岡谷惣助清治郎・神野金之助、SAA(会場監督):祖父江重兵衛(糸重)

 メンバーは、旧家の旦那衆ばかりなので、礼儀を重んじて、例会には羽織はかまで出席した。社会奉仕の第一号になったのは、大正15年9月、大須で起きた強盗殺人事件で、短刀を振り回して暴れる犯人に立ち向かい、重傷を負いながらも逮捕した警官への見舞金の贈呈だった。

 名古屋ロータリークラブは、名古屋財界のトップが入る名門クラブとして発展した。戦前の歴代会長は次のとおりだ。この顔触れでわかるとおり、名古屋財界人のトップの集まりとして、単なる社会奉仕団体の枠を超えて存在感を発揮するようになる。

 伊藤次郎左衛門祐民=いとう呉服店(大正13年から昭和3年)、瀧定助=瀧定(昭和4年)、岡谷惣助清治郎=岡谷鋼機(昭和5年)、広瀬実光(昭和6年)、加藤勝太郎=加藤商会(昭和7年)、渡辺龍聖(昭和8年)、青木文治郎(昭和9年)、豊田利三郎=豊田紡織(昭和10年)、藍川清成=名古屋鉄道(昭和11年)、高橋正彦(昭和12年)、高松定一(昭和13年)、神野金之助=名古屋鉄道(昭和14年)、下出義雄(昭和15・16年)、飯野逸平(昭和17年)、井倉和雄(昭和18年)、伊藤次郎左衛門松之助=松坂屋(昭和19年)、増本敏三郎(昭和20年)

<コラム>名古屋の富豪の顔触れ

 「所得税多額納税者調べ 大正13年度、名古屋市内の所得税多額納税者は、次の通り(円以下切捨て)

  伊藤次郎左衛門 92、180円(九日会)いとう呉服店
  近藤友右衛門  59、530円(九日会)信友
  斉藤恒三    44、620円
  滝 信四郎   42、299円(九日会)タキヒヨー
  瀧 定助    34、584円(九日会)瀧定
  鈴木摠兵衛   23、159円(九日会)材摠
  春日井丈右衛門 23、074円(九日会)
  後藤安太郎   22、634円
  岡谷惣助    22、322円(九日会)岡谷鋼機
  鈴木政吉    20、273円 鈴木バイオリン
  村瀬周輔    17、169円
  富田重助    15、924円(九日会)
  後藤幸三    14、236円
  豊田佐吉    14、107円
  八木平兵衛   13、853円
  神野金之助   12、692円
  森本善七    12、618円(九日会)森本本店
  佐治 博    12、541円
  渡邉義郎    11、421円 愛知銀行頭取
  加藤久次郎   11、166円」

 なお、この年は、次の13人が寄付をした理由から、紺綬褒章を賜わっている。

 滝信四郎、近藤繁八、松岡嘉衛門、内藤伝禄、安藤竹次郎、豊島半七、滝本与兵衛、中野半六、小栗三郎、盛田久左衛門、中尾十郎、広瀬弥助、松平乗承。

 

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大正11年(1922)

大正12年(1923)

大正13年(1924)

宮沢賢治が詩集『春と修羅』、童話『注文の多い料理店』を出版
その頃、世界は アメリカが新「排日」移民法を制定
その頃、日本は 愛知出身の加藤高明が首相に就任
その頃、名古屋は 福澤桃介が見栄とはったりで外資調達に成功
その頃、名古屋は 九日会が財界を牛耳る
その頃、世界は 上海で5・30
事件発生、中国人デモ隊にイギリス人警官隊が発砲
<この年に誕生した会社>
ニッチな分野で独自の技術力を発揮 湯浅糸道工業
<この年に誕生した会社>
角ナットの納入に始まるトヨタとの信頼関係 メイドー

大正14年(1925)

大正15年(1926)

昭和2年(1927)