岡崎のオチアイネクサスといえば、自動搬送装置などを造っていて、トヨタ自動車と密接な取引のある会社だが、その歴史は古く、明治33年(1900)まで遡る。
創業者は、落合浜平とその長男の久蔵だ。久蔵は、当時まだ開通したばかりの東海道線に乗って横浜に行った。行った先は鍛冶屋で、修業をしながら技術を習得した。そして岡崎の故郷に帰ると、野鍛冶になった。父親の浜平も久蔵を応援したので、親子で創業したような形だった。創業時に造ったのは農器具や建築金物で、それを地元の峰澤商店などに納入した。
その次の代は、久蔵の弟の菊松(浜平の次男)が継いだ。菊松は、海軍の志願兵になり、戦艦長門の機関兵になったこともあるエンジニアだった。除隊して家業に入ってからは、主に軍需関係の製造を行った。愛知時計の協力工場となり、魚雷の頭部の格納庫や、高射砲の旋回装置の組み立てをした。
戦後は、菊松の子・芳雄の代になった。芳雄は、昭和25年(1950)に豊田自動織機からクレーンの設計・製作・修理を請け負った。これがトヨタグループとの取引の始まりだった。そして昭和30年からはトヨタ自動車からクレーン関係の仕事を受託した。昭和40年代になると、機械間搬送装置の開発製造が主力になり、それが現在の業務につながっている。
現社長は、その芳雄の長男金光氏で、平成5年(1993)に社長に就任した。「平成2年には社名を落合鉄工場からオチアイネクサスに変えたが、ネクサスというのは“結び付き”を意味する言葉で、創業以来の『和』の精神を受け継いだものだ。創業の精神を大事にしていきたい」と語っている。
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