中国で義和団がいよいよ台頭し、席巻する勢いになった。6月になると、清朝が列強に対して宣戦布告した。
これに対して列強は、共同して出兵した。軍を派遣した列強は8カ国あり、総勢約2万人弱の混成軍であったが、最も多くの派兵をおこなったのは日本とロシアであった。
この義和団の乱は、極東における、日本とロシアの存在を大きくした。それが日英同盟の締結をもたらし、やがて日露戦争につながることになる。
また『坂の上の雲』の主人公たちは、好古が第五師団兵站監となり、義和団事件の鎮圧のため天津に赴任した。
真之は、イギリスのポーツマス港で、広瀬武夫と再会した。イギリスに発注して建造していた戦艦朝日をともに見学した。日本は日露戦争前に、いままでに持ったこともない第一級の戦艦6隻と、第一級の装甲巡洋艦6隻を揃え、いわゆる66制による新海軍を作った。
真之は帰国後、子規を見舞いに行った。病状は悪化していて、子規は包帯を取り替えるごとに激痛に襲われた。真之はその断末魔のような叫び声に驚いた。
日本経済は、明治33年(1900)に入って深刻な不況に陥り、さらに北清で発生した義和団事件により、綿糸布の対清輸出が途絶したことがダメージを大きくした。井桁商會の経営は一時盛況だったが、この33年に入ってから受注が激減してしまった。
このあたりで、佐吉と経営陣との間には、溝ができていた。商品の質にこだわる佐吉と、効率一辺倒の経営陣との間に、考え方の相違が生じてしまったのだ。佐吉は遂に井桁商會から身を引いた。一応、自ら身を引いた形にはなっているが、事実上の解雇であるに相違なかった。
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