「妙香園」といえば、名古屋ではお茶の有名ブランドだが、その創業は大正5年(1916)だ。
創業者は、田中秀吉という。秀吉は四日市市出身だったが、名古屋に転居して「田中茶店」を大正5年に創業した。その秀吉は、昭和9年(1934)に50歳で亡くなってしまった。
後を継いだのは、長男の富治郎だ。富治郎は大正10年生まれで、当時14歳だった。名古屋市立名古屋商業学校(現・名古屋市立名古屋商業高等学校〈CA〉)の2年生だったが、中退した。ここから富治郎の長い〝お茶屋人生〟が始まる。大八車で配達しながら市内に配達した。
ようやく店の経営を軌道に乗せたのもつかの間、戦争に突入した。富治郎は、身体が弱くて甲乙丙の中の丙種合格だったが、それでも陸軍第3師団に入った。パラオ、ラバウル、ガダルカナルという激戦地を転戦した。目の前で爆弾が破裂し、命拾いしたことが3度あった。戦後は捕虜として1年間収容所に入れられた。「船で名古屋港に着いて帰国できた時は本当にうれしかった」と述回する。
帰ってみると、自宅兼店は焼け残っていた。周辺が丸焼けなのに、自分の家だけがそっくり残っていたという。戦後は経済統制下でモノ不足だったので、モノさえ確保できれば売れた。会社名もブランド化を目指して「妙香園」に変えた。昭和30年代から高度成長時代に入り、同社もどんどん出店した。
現在の同社は、お茶を全国の問屋や経済連から仕入れ、西尾市の工場でブレンドしている。販路は店頭が6割、業務用が4割だ。店は名古屋駅のサンロード店、栄のサカエチカ店などだ。業務用は、会社や飲食店等に納めている。自慢のブレンドは「色が濃くて味が濃い」のが特長だ。
ところで、本書を執筆している平成27年(2015)9月の時点で、同社の社長は誰だと思われるか? 実は富治郎氏だ。富治郎氏はまだ現役社長なのである。御年は、95歳である。毎日出勤し、普通に勤務している。実にカクシャクとしていて、会社の預金残高が常に頭の中に入っているという。
富治郎社長に「会社が続いた秘訣は何か?」と問うた。帰ってきた答えは「健康法」という言葉だった。中国人の健康法の先生の指導を受けているそうで、菜食主義を貫いている。魚も食さない。僧侶のような徹底した菜食主義だ。「私は身体が弱かったので、身体をいたわりながら生きてきたが、それが幸いした」という。
富治郎社長が心中で目標としてきたのは、孫の良知氏に会社を継がせることだった。良知氏は子供の頃から、祖父から帝王教育を受けてきた。
「妙香園は永遠です」。これが孫へのバトンタッチを目指す富治郎社長の執念である。
本社所在地は、名古屋市熱田区沢上2‐1‐44である。
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