安城市にクサカという会社がある。どでかい本社ビルだから遠くからでもすぐわかる。そのクサカは大正時代からある老舗だ。
創業者は、日下今朝二(けさじ)という。日下家はもともと安城の旧家で米屋だったが、今朝二は建築請負業を始めた。クサカの創業は、大正5年(1916)ということになっている。これは明治用水水利組合の指定工事請負人として許可を得た年次のことであり、実際の歴史はもっとさかのぼりそうだ。
安城市は、明治用水のおかげで水に恵まれて〝日本のデンマーク〟と呼ばれる田園に発展するのだが、クサカはそのお手伝いをする形で創業して発展してきた。
今朝二は事業に成功し、地域で信頼され名士になった。信心深い人で、地元の神社仏閣への寄進に努めてきたので、今でも寄進者として篠目町内のあちこちに名前が残っている。
今朝二には娘ウメノがいた。その婿養子として天野家から迎え入れられたのが兼義だ。兼義は穏やかで優しい性格だったが、徴兵され、太平洋戦争末にフィリピンで戦死した。
後継者を失った今朝二は、戦後途方に暮れた。敗戦で焦土と化した日本で、しかも後継者も失う…。ここで事業断念という選択肢も脳裏をよぎったかもしれない。
そこで救いの手をのべてくれたのは兼義の実家の天野家で、兼義の弟である清水宗敏と天野昇が日下組(現・クサカ)に入って支えてくれるようになった。兼義の2人の弟は、亡き兄に代わって社業に励み、死ぬまで尽くしてくれた。この一族の一致団結が、戦争という困難を乗り切る要因になった。
兼義とウメノの間には、長男立(たてし)がいた。立は昭和9年(1934)生まれ。戦後は父兼義が帰って来なかったこともあり、生活に窮することもあった。立は中学校を卒業してすぐ家業に入る決意をした。本当は進学したかったが、それが許される状況ではなかった。
立は昭和38年には、会社を株式会社化して、社長に就任した。その4年後の昭和42年、創業者今朝二は世を去った。84歳だった。可愛くてならない孫・立に希望を託しての旅立ちだった。
立は、期待に応える形で、その後事業を拡大した。だが、成功する過程で大きなピンチがあった。財務担当者が不正経理に手を染めて手形を乱発し、危うく経営危機に陥るところだったという。そのピンチから、立は手形の怖さを思い知った。それ以来健全経営に徹するようになり、手形ゼロの無借金経営を実現した。
しかし、好事魔多し。その立を突然病魔が襲った。スキルス性のガンが見つかり、余命半年といわれた。そこを2年半も生き延びて、平成14年(2002)に亡くなった。68歳だった。その2年半という時間は、子供の世代に会社を受け継ぐ期間になった。
立には、長男成人氏と、次男浩之氏がいて、それぞれ社長と専務になっている。成人氏と浩之氏は公共工事の予算削減という現実に直面した。もともとは農業土木の日下組というイメージの強かった同社だったが、住宅建築にも乗りだし、民需に転換を図った。
このように兄弟は一致団結して乗り切ってきたが、「父立が残してくれた財務体質が支えになった」という。成人社長は、「父立は『仕事に厳しく、心温かく、報酬は高く』という言葉を残してくれた。私はその言葉を守り、社員を大事にしていきたい」と話す。
本社所在地は、愛知県安城市池浦町池西108である。
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