「醸し人九平次」という日本酒をご存じだろうか?
著者の行きつけの店には「醸し人九平次」という日本酒があるが、これが飲んでみるとウマイ。ところが、名古屋市内のほかの飲食店にはあまり置いていない。
醸造元のラベルを見てみたら、名古屋市緑区となっている。「へえ、名古屋にこんな美味なお酒があったのか」とちょっとした驚きを覚えた。ネットで、「醸し人九平次」を検索してみた。すると人気がありそうだった。知る人ぞ知る名酒のようだ。
醸造元は、株式会社萬乗醸造という。著者は、思い切って電話をかけて取材を申し込んだ。社長はすぐ快諾してくれた。緑区大高町西門田41という住所でナビを設定して訪問してみると、いかにも時代がかった酒蔵に辿り着いた。
著者を待っていて下さったのは、久野忠雄・九平治親子だった。案内されて中に入ると、凄い建物だ。まるで江戸時代にタイムスリップしたような気分になる。聞いてみると、平成19年(2007)に有形文化財として登録されたとか。
会長の忠雄氏は、大事そうに古文書を取り出して、歴史を教えてくれた。見つかった古文書によると、正保4年(1647)に庄屋を始めたという記録がある。酒造りを始めたのは享保2年(1717)のようだ。知多半島には多くの酒蔵があったというが、いま残っているのは少ない。この享保2年が創業である。
この老舗の萬乗醸造を一変させたのが、社長の九平治氏だ。九平治氏は、十五代目の社長で43歳。学校を卒業して以来、いろいろな職業を転々とした。その心にあったのは“食”へのこだわりと情熱だったという。
九平治氏は平成15年に家業に戻った。当時の家業は、大手酒造メーカーの下請けで量産品を作っていた。九平治氏は「正直、あまりうまくなかった。もっとウマイ酒を作れないものか」と研究を始めた。
その研究成果の末に出来上がったのが「醸し人九平次」だった。その飛躍のバネになったのは、パリのホテルリッツへの納入開始だった。社長の九平治氏は行動派で、自ら営業に赴き、契約をゲットした。「私のやり方は、すべて飛び込みの営業スタイルです」と笑ってみせるほどの行動力だ。
パリのホテルリッツに納入するには厳しい審査があり、日本の蔵まで審査に来たという。その審査にパスしたということは、レストラン業界ですぐ評判になった。だから、他店への売り込みもスムーズに進んだ。いまでは世界7カ国に輸出している。
現在は、売上高の中に愛知県が占める比率は1割のみだという。道理で見かけないはずだ。「どこにでも置いてあるお酒では価値がないから、大量に流さないように心掛けている」とか。
九平治氏は熱い。とにかく熱い。その口からは次のような抱負が溢れ出る。
「ワインが日本の食文化に入ってきたように、日本酒が海外でも愛されるようになりたい」「常に変わり続けることがテーマだ。醸造技術は一般的に明治時代にほぼ完成したといわれているが、私はそれをもっと深化させていきたい。どこにも真似ができないような造り方を創造したい」「素材にこだわりたい。水は昔は井戸を使っていたが、今は奥三河から6時間もかけて運んでいる。米は山田錦だ。米はこれまで購入してきたが、神戸近くで休耕田を貸して貰い、自社のスタッフで栽培するようになった。自分で育てた米、自分で汲んできた水、それを組み合わせて最高のお酒を作りたい」
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