試薬・化成品卸の伊勢久株式会社は、宝暦8年(1758)に創業した。創業者は初代久兵衛である。碁盤割の宮町(現・名古屋市中区錦3)に伊勢屋佐兵衛という大きな薬種問屋があった。初代久兵衛は小牧市から出てきて奉公に上がり、勤務成績優秀により、別家を許されて開業した。場所は、石町(現・東区泉1)だった。
久兵衛の店は、二代目・三代目・四代目と代を経ながら、江戸時代を通じて順調に発展した。
長い歴史の中で中興の祖とも評すべき経営者は、五代目の高木虎太郎だ。虎太郎は、明治3年(1870)の生まれ。虎太郎は明治23年、満20歳で五代目の当主となった。当主となるとすぐに店舗をずっと広い中市場3丁目(現・東区泉1)に移転した。ところが翌24年に濃尾大地震に遭い、多くの家屋が破損した。伊勢久でも、土蔵内に仮住まいしなければならなかった。
その修繕工事がようやく終わろうとした頃、今度は隣家から出火し、類焼してしまった。損害額は3千円という記録があるが、当時の伊勢久の年商が7千円だったことを考えれば、その大きさが分かる。だが、虎太郎は不撓不屈の精神で乗り越えた。
この写真は、昭和6年(1931)に撮ったものである。鉄筋コンクリートの新店舗の前での記念撮影だ。当時はまだ鉄筋コンクリートは少なかった。この建物は、戦災にもビクともしなかったという。
虎太郎は明治37年(1904)頃から多治見瀬戸の窯業に着目し、陶磁器の絵具などの原料販売を始めた。しかも神戸に出向いて外国商館と接触し、絵具や金液などを輸入し始めた。その経験からイギリス、フランス、アメリカのメーカーに直接交渉し、大正4年(1929)からは直輸入による独占的な販売に成功し、今日の基礎を築いた。昭和5年には名古屋市中区南外堀町10丁目(現・中区丸の内3‐4‐15)で本社屋が竣工した。
伊勢久株式会社の業務内容は、現在、企業・研究所・大学・病院などを対象にした試薬、化成品、臨床検査試薬、窯業原料、機器および設備の提供である。ニッチな分野であり、独自の市場を持っている。だが、最初から業務内容を絞っていたわけではない。昔は医薬品の卸売業も行っていたが、昭和39年に撤退した。医薬品の卸売という業界は現在、資本の論理が働く世界で、中小規模では成り立ちにくい。それを見越した上での決断だった。社長の高木裕明氏は「この決断は高木明名誉会長によるものだが、この決断のお陰で今日がある」と感謝する。
昭和42年に「伊勢久株式会社」に社名を変更した。社名については、ずっと後になってCI(コーポレートアイデンティティ)ブームが訪れた時に、社員を交えてカタカナとかアルファベットに変更する案を検討したことがあったが、社員から「伊勢久」という名前に愛着と誇りがあるという意見が集まり、変更しない方針が決まった。
試薬を極める伊勢久株式会社は、新しい目標に挑戦しつつある。それはIPS細胞(山中伸弥・京都大学教授が発明した新型万能細胞)に代表される再生医療などのライフサイエンス分野とITやエネルギーなど多くの分野に関連する粉体技術だ。これらは無限の可能性のある最先端技術であり、政府はこれから大きな開発予算を投入する可能性がある。そこで伊勢久株式会社も、この分野で先端を走ろうとしている。
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