九代藩主宗睦の治世で、ひときわ目立つ活躍をした人に五代目材木屋惣兵衛がいた。惣兵衛は、東本願寺名古屋別院の再建の情報をいち早く入手した。そこで急きょ、真宗への改宗を申し出て、京都の大谷派本山へ参上して法王達如に謁見、多額の寄進を施し、帰依の誠を尽くした。
法王達如は、この惣兵衛の信心深さ?に感銘して、名古屋別院の再建用材木一切の供給を任せた。別院の再建工事は、宮大工・伊藤平左衛門父子を棟梁にして、文化2年(1805)に着工して、18年後の文政6年(1823)に完成した。
東西22間、南北17間、高さ22間という別院本堂などの用材供給事業は、巨額の利益を惣兵衛にもたらした。工事に着工して、しばらく経った文化5年、藩札「米切手」に添印した名古屋商人は349軒あるが、惣兵衛の名もそこに含まれるようになり、その時は40両献金した。名字帯刀も許されるまでになった。惣兵衛は、天保11年(1840)の長者番付で187軒中、西前頭4枚目に挙げられるまでに躍進した。紀州浜中、阿波のての字と並んで3大材木商と称されるまでになった。
この材摠木材は、明治時代になってからも飛躍を続けた。名古屋商工会議所の会頭(大正2年―9年)になった鈴木摠兵衛は材摠木材の八代目当主である。なお、惣兵衛を摠兵衛と改めたのは、八代目当主である。
現在の材摠木材株式会社の本社は名古屋市中川区で、十二代目の鈴木龍一郎氏が社長。関連会社には名証2部上場の大日本木材防腐株式会社もある。この鈴木社長に事業が続いた理由を聞いてみた。鈴木社長は「木材という仕事は、景気に左右されやすく、創業から今日まで不撓不屈の精神で戦い抜いてきた。当社の歴史は決して順風満帆というわけではなく、七転八起という言葉がピッタリだ」と答えてくれた。
「木材という業界も変化が激しく、その変化への対応をしてきた。戦前はインフラ整備の一環として枕木や電柱という需要が大きかったが、昭和50年代頃から、順次コンクリートに変わってしまった。戦後は住宅ブームがきて、木材の卸売業で伸ばした。そして最近は、木材流通構造の変化に伴い、住宅資材が中心になり、プレカットやツーバイフォーを扱うようになっている」と変化への対応を強調する。
社員は、材摠木材が130人、大日本木材防腐が220人で、グループ全体で350人。
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