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大正12年(1923)9月1日に関東大地震が発生。死者10万人

その頃、豊田は…佐吉が刈谷で織機試験工場を新設

 震災が起きた時、豊田佐吉は上海にいた。「大震災発生! 箱根以東は全滅。火災は全市で起る」という情報が入電された時、佐吉は上海の自邸で西川秋次と食事中だった。

 佐吉はしばらくじっと考え込んでいたが、いきなり「上海ではまだ救済や義援金の募集の話はないか」と言った。そして、「よし、それなら俺は名古屋でも出すが、取りあえず1万円出そう。こんなことは早いがよい。すぐ民団へ申し込んでもらう」と、言い放った。

 名古屋では、佐吉の息子の喜一郎の安否がわからず大騒動になっていた。この震災の当日、喜一郎は東京にいた。震災の一報が入っても、通信網が途絶えて正確な情報が得られない中で、デマが飛び交った。喜一郎の様子は、愛知まで伝わるはずもなく、東京に使いを出すなど八方に手を尽くして、その安否を確認するために豊田紡織の人々が躍起となった。その最中に、喜一郎は泥だらけになって中央線大曽根駅に帰って来た。

 一同は胸をなでおろした。初の出産があと2カ月後に迫っていた身重の二十子も、ほっとした。

 また、震災という大惨事があった年ではあったが、豊田紡織は11月に、愛知県刈谷町で自動織機の試験のための工場を設立した。佐吉が刈谷に工場を創設したのは、自動織機の営業的試験の完全を期するためであった。「完全なる営業的試験を行はざれば真価を世に問ふべからず」という発明家としての牢固たる信念の所産だった。

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発刊に寄せて

序文

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大正11年(1922)

大正12年(1923)

9月1日に関東大地震が発生。死者10万人
その頃、日本は 震災が経済に大打撃
その頃、名古屋は 銀行が取り付け騒ぎに遭う
その頃、名古屋は 大震災直後に大売り出しを挙行した、いとう呉服店
その頃、豊田は 佐吉が刈谷で織機試験工場を新設
その頃、名古屋は 遊郭が大須から大門に移転
その頃、世界は ドイツが超インフレ
<この年に誕生した会社>
“地味で堅実”を地でいく管工機材の商社 大清
<この年に誕生した会社>
「リスクを恐れるな」三兄弟の挑戦により発展 シロキ
<この年に誕生した会社>
薬局から始まり医療・福祉の総合企業へ ナンブ
<この年に誕生した会社>
材木商として港と共に生きる
名古屋港木材倉庫
<この年に誕生した会社>
学校給食の分野で実績 天狗缶詰

大正13年(1924)

大正14年(1925)

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