6月、オーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント大公が、ボスニアの首都サラエボで暗殺された。オーストリア・ハンガリー帝国はセルビアに対する宣戦布告をした。ロシア、ドイツ、フランス、イギリス、オスマン帝国が参戦し、ここに第一次世界大戦が始まった。
イギリスは、膠州湾の青島を拠点としたドイツの東洋艦隊によって、自国の商船が脅かされていた。そのため、8月7日にイギリスは、ドイツ艦隊を撃破してほしいと日本に要請してきた。時の大隈重信内閣は、参戦を決定しイギリスに回答した。
ところが、日本の参戦を機会に中国および太平洋に進出することを恐れたアメリカが反発したため、アメリカを味方にしておきたいイギリスは、日本への要請を取り消した。
そこで日本は、戦闘地域を限定することで参戦の同意を取り付けた。8月15日、ドイツに対し中国海域からの艦隊の撤退と、膠州湾租借地を中国に還付する目的で日本に引き渡すことを勧告し、最後通牒を送った。ドイツからの回答がないので8月23日、ドイツに宣戦布告し参戦した。
9月には、日本軍がドイツ権益地の山東省に上陸した。10月には、日本軍がドイツ領の南洋諸島を攻略した。そして、山東省の済南を攻略した。11月には、ドイツの租借地であった青島を攻略した。
名古屋からは、歩兵第6連隊第5中隊が、5年8月25日に中国青島の守備に派遣され、約1年間滞在した。
大戦勃発直前の世界経済は、ヨーロッパ、アメリカ共に不景気状態にあったが、中でも日本は深刻な不況にあえいでいた。
当初、日本の経済界では戦争景気を期待する向きが多かった。日清・日露両戦争において、日本経済が潤った体験が生々しくあった。
だが、大戦の勃発は、日本の経済界を萎縮させた。困ったのは、為替取引の杜絶だった。当時の世界はロンドンが世界金融の中心市場であって、日本の対外貿易の取引は、中国、インド、アメリカ、ヨーロッパ等そのすべてがロンドンにおいて決済されていた。そのロンドン市場が大戦勃発とともに突如為替取引を中止した。輸出も輸入も、為替取引面から全く麻痺してしまった。また、為替取引の停止とともに、海上輸送も停止してしまい、世界中の貿易が萎縮してしまった。
経済が萎縮すると、いろいろな物価が下落した。銀塊の相場が暴落した。ヨーロッパの綿花買い付けが凍結され、原綿の相場が暴落した。日本国内での物価も暴落した。銀行が貸し出しにおいて警戒感を一層強めたので、中小企業は資金面で苦しんだ。
株式市場も暴落した。しかし、11月にドイツ支配下の青島が陥落したのを契機に、景気は好況局面へと回復した。
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