この年は、福澤諭吉の娘婿・桃介が名古屋電燈(東邦電力の前身)の社長に返り咲いた。
ここで桃介と名古屋との関係をおさらいしよう。
伏見の名古屋観光ホテル、その西側のブロック(現・中区錦1‐18、KDDI名古屋ビル近辺)には、名古屋ホテルというホテルがあった。明治末では、名古屋市内で唯一の洋館ホテルだった。
明治42年(1909)2月の寒い夜、その名古屋ホテル洋館の1室に3人の顔がそろった。三井銀行名古屋支店長の矢田績と、当時は「相場の神様」と一目を置かれていた桃介、大阪府出身で愛知石炭商会の下出民義である。3人の接点は、慶應義塾大学で先輩後輩の仲ということであった。
矢田は、融資先である名古屋電燈の経営内容を知ると、これは実に惜しいものだと考えた。名古屋という大都市で生まれた初の電力会社だったが、旧士族が出資者になっていたので保守的で、まるで殿様商売だった。矢田は「経営する人さえ当を得ておれば、どんなにも発展するのに」と思い、誰か適当な、しっかりした人物に乗り出してもらいたいものだと考えて、下出民義に相談をしていた。
下出もまた桃介とは昔からの深い間柄の友人だった。2人の考えは期せずして「桃介にやってもらえば、それに越したことはない」ということで意見が一致した。
2人から話を聞いた桃介は、さすがに理解が早かった。矢田が少し話しただけで、事業の意義や将来性まで見抜いてしまった。その気になった桃介は親友の岩崎久弥(岩崎弥太郎の長男)に相談した。三菱の岩崎久弥とは、アメリカ留学時代に親しかったのである。岩崎久弥からの協力を得た桃介は、三菱銀行から巨額の融資を受けることに成功した。
名古屋電燈株の買いあさりは、下出の手で始められた。一挙に2千株を獲得したかと思うと、43年上半期には、ついに1万2千株を入手、最大の株主に踊り出た。
名古屋電燈の経営陣は、不意の乱入者に驚いた。けれども、もはや無視し通せるものではない。桃介は42年の7月には顧問として関係することになった。次いで相談役、取締役のポストをあてがわれ、ついに43年5月には常務取締役に就任した。その頃の名古屋電燈には社長制がなく、桃介は、三浦恵民と共に、常務として、会社の最高幹部の地位を占めたのである。
常務となった桃介は、早速持ち前の行動力を発揮した。当時は、名古屋電力という会社ができて強力なライバルとして登場していた。名古屋電力は明治39年、名古屋財界の大御所であった奥田正香を筆頭として、上遠野富之助、白石半助、斎藤恒三、相良常雄、神野金之助、岐阜の渡辺甚吉というそうそうたる顔触れが集まって設立した。
だが、名古屋電力はタイミング悪く不況の嵐に襲われ、工事半ばにして、金融難のために身動きができなくなってしまった。ついに明治43年、名古屋電力は敵陣に降り、名古屋電燈に合併されざるを得なくなった。桃介は勝者として、この合併契約に参加した。桃介はその競合相手を吸収合併することをもくろみ、進んで定款改正、重役の増員などと、精力的に動き回った。
ところが、不意の侵入者の大胆きわまりない行動に、創立以来の士族株主の怒りは収まらなかった。株主であった旧士族たちにしてみれば、桃介は、自分たちの縄張りに進入してきた外敵のようなものだった。口をそろえては「福澤は名古屋電燈を乗っ取りにやって来た。彼は何者だ。相場師じゃないか。法螺ばかり吹いているが、真面目に会社を経営する心などはあるはずがない。そんなやつに、名古屋の由緒の深い会社を荒らされてたまるものか」と、口々に桃介を非難した。
この雰囲気に嫌気がさした桃介は、常務を辞任し、名古屋を去った。43年11月のことである。
名古屋電燈を去った後、桃介の目は木曽川に向かった。勘の鋭い桃介は、名古屋へ来て早くも水力に目をつけた。洋々と流れる木曽川は、桃介の目に大きな水力電気の豊庫として映じた。「木曽川を開発すべきである。これこそ、自分の一生を託するに足る大きな事業だ」と見てとり、それからは技術者と一緒に険しい山にも登った。
桃介は43年11月、名古屋電燈の常務取締役を辞任すると同時に、木曽川発電所を設立して新事業の端を開いた。
「桃介が木曽川にダムというものを造り、安い電気をつくるらしい」という噂は、名古屋の経営者層の間で広まった。その水力発電の実績を見せつけられて、桃介に対する評価も一変していった。
一方、桃介が去ったあとの名古屋電燈は、経営が〝親方日の丸〟そのものだったために、不振に陥った。そのため、名古屋電燈でも「今度はこちらから頼んで、復帰してもらいたい」という空気になって来た。
桃介が名古屋電燈の常務取締役に再び返り咲いたのは大正2年(1913)1月である。そうして翌大正3年の12月には、同社の社長に就任することになった。ここからが桃介の本領発揮となる。木曽川にどんどんダムを建設し、安価な電力を供給することを可能にした。〔参考文献『財界の鬼才』〕
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