愛知県の人なら、名古屋港のポートメッセなごや隣の大型家具店「ファニチャードーム名古屋新本店」を知らない向きはないだろう。1万2千平方メートルのビッグスペースに約10万点の品ぞろえを誇るメガストアだ。どこにも「安井家具」という社名が出ていないが、これを経営するのが安井家具だ。
安井家具は、大正3年(1914)に大須で創業した。初代の安井治三郎は、明治22年(1889)に津島で生まれた。14歳で津島の桐箪笥屋「指宗」に奉公に出た。そして大正3年に裏門前町近くの地(現・大須3‐217)に20坪の店をつくり、安井タンス店を開業した。25歳のことだった。裏門前町は、明治43年に関西府県連合共進会という博覧会が鶴舞公園で開催された時、その仕事をあてこんで各地から建具屋、指物屋が集まってきて、東海地区随一の家具屋街に発展していた。治三郎の安井タンス店は、妻のふうの内助の功もあり順調に発展した。2人の間には、大正3年に長男治郎が、8年には次男栄一が誕生した。
安井タンス店は、昭和9年(1934)、裏門前町1丁目に2階建て230平方メートルの新店舗を建設した。タンス職人20名あまりで製造販売を手広く行うまでになった。だが、好事魔多し。昭和13年に治三郎が急逝してしまった。享年49歳。早過ぎる死だった。
後を継いだのは、長男治郎だった。だが、後継者たるべき治郎と栄一はその後、戦地に送られることになった。留守は女手に委ねられた。幸運だったのは、2人とも無事で復員してきたことだ。昭和21年には「安井タンス店」を再開できた。
戦後の物資不足の中で、家具が飛ぶように売れた時代があった。昭和23年には「株式会社安井タンス店」を設立した。27年には、売り場面積330平方メートル、2階建ての新店舗を開店した。当時としては周囲の目を奪う大型店だった。
治郎は昭和40年に海外の家具店を視察した。そこで得たのは、「日本の家具店はもっと大きくなれる」という確信だった。そこで42年には、地上6階地下1階建て、2400平方メートルの本店を新築した。
この頃、同社は3回目の世代交代期を迎えた。治郎の長男の隆豊氏(現・社長)や、栄一の長男豪朗氏が入社した。この3代目の世代は、家具店という殻を打ち破る挑戦を繰り返してきた。現在主力になっているのは、ファニチャードームという業態だ。広大な売り場に商品をそろえることで、家具選びをエンターテインメントに変えた、家具とホームファッションのメガストアだ。
ファニチャードームは、平成12年(2000)に稲沢店をオープンしたのを皮切りに、13年に名古屋新本店をオープンした。現在は、新岡崎店、新豊橋店、新緑店、岐阜柳津店、津河芸店がある。
隆豊社長は「困った時に、それを前向きにとらえることが重要。ピンチは必ずチャンスに変えることができる」と自らの体験に基づいて経営を語る。老舗としての伝統にあぐらをかくことなく挑戦し続ける同社の姿勢をみていると、挑戦と革新こそが継続の道であると教えられる。
本社所在地は、名古屋市中区錦1‐8‐18である。
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