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この年に誕生した会社

「リスクを恐れるな」三兄弟の挑戦により発展 
シロキ

 洋紙卸のシロキは、大正11年(1922)の設立だ。創業者は白木松次郎という。

 松次郎は、名古屋の中区久屋町(現・久屋大通公園の付近)で雑貨商を営んでいた白松商店の出身だった。白松商店がいつからあったのか不明だが、2代目松兵衛が文久元年(1861)の生まれだから、遅くとも明治初期までには創業していたはずだ。その2代目松兵衛の次男が松次郎だ。

 大正8年、名古屋で中央紙業株式会社という会社が設立された。多くの出資者がいたが、2代目松兵衛は祭り上げられて社長になった。だが、その後、第一次世界大戦後の恐慌に襲われ、大きな損失を出した。

白木洋紙店の創業時の記念写真
白木洋紙店の創業時の記念写真。中央が松次郎、左が妻二三子、
抱かれているのは浩一 (昭和2年。場所は宮町〈現・錦3丁目〉)

 松次郎は弱冠23歳だったが、父の事情により、その営業権を買い受けて、借金までも引き受けて合名会社白木洋紙店を設立することになった。いわばマイナスからの出発だった。創業の地は、宮町だった。宮町というのは、十六銀行名古屋営業部のビルの南方(錦3丁目)である。松次郎は積極かつ堅実な営業活動で業績を伸ばした。昭和初期には、上海や奉天に出張所まで開設した。

 だが、そこに太平洋戦争―。松次郎は、空襲で本店や倉庫を全焼した。松次郎は、その時46歳だった。すぐ、昭和区桜井町で営業を再開した。松次郎にとって幸いだったのは、長男浩一が昭和24年(1949)に入社し、父子で再建に取り組むことができたことだ。

 戦後は、高度成長時代の中で、東京、大阪、仙台、福岡など全国で営業を拡大した。そして昭和47年には株式会社シロキに変更するとともに、浩一が社長に就任した。

 だが、好事魔多し。昭和61年に、浩一が死去するという不幸に見舞われた。病死だった。享年60という若さだった。

 その時、残された浩一の男子は、長男和夫氏、次男栄次郎氏、三男良彦氏で、シロキに入社していた。3人とも30代で経験不足ではあったが、創業者松次郎が健在だったので、その指導を仰ぎながら社業にいそしんだ。

 社長には、和夫氏が就任した。

 一代で洋紙卸の大手シロキを築いた松次郎は、平成7年(1995)6月に逝去した。96歳で亡くなる寸前まで元気で、孫たちを見守っていたという。

 洋紙業界は、製紙メーカー→代理店→二次卸→ユーザーという流れになっているが、シロキは代理店という立場で、板紙(段ボールなど)、洋紙(コーテッド紙・コピー紙)などを扱っている。紙の世界ではもともと信用があるので、与信管理に努めながらシェア拡大を目指してきた。

 和夫・栄次郎・良彦3兄弟は、創業者松次郎の教え「リスクを恐れるな」を守り、洋紙卸という本業を固めながら、事業多角化にも積極的に挑戦してきた。いろいろな事業に挑戦してきたが、形になってきたのは、塗るだけで省エネを実現できる屋根塗料だ。「ミラクール」という商品で、仮設住宅とか、工場の屋根などで需要が拡大しつつある。この商品に関しては、シロキはメーカーの立場であり、全国に販売網を築きつつある。

 平成20年には、紙・板紙、生活環境、管理本部という3カンパニー制を導入した。平成21年には和夫氏が会長に栄次郎氏が社長になるというトップ交替を行った。和夫氏は管理本部カンパニーを、栄次郎氏は本業の紙・板紙カンパニーを、良彦氏は新規事業の省エネ屋根塗料を売る生活環境カンパニーを担当する形になっている。

 本社所在地は、名古屋市千種区千種3‐25‐19である。

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発刊に寄せて

序文

大正元年(1912)

大正2年(1913)

大正3年(1914)

大正4年(1915)

大正5年(1916)

大正6年(1917)

大正7年(1918)

大正8年(1919)

大正9年(1920)

大正10年(1921)

大正11年(1922)

大正12年(1923)

9月1日に関東大地震が発生。死者10万人
その頃、日本は 震災が経済に大打撃
その頃、名古屋は 銀行が取り付け騒ぎに遭う
その頃、名古屋は 大震災直後に大売り出しを挙行した、いとう呉服店
その頃、豊田は 佐吉が刈谷で織機試験工場を新設
その頃、名古屋は 遊郭が大須から大門に移転
その頃、世界は ドイツが超インフレ
<この年に誕生した会社>
“地味で堅実”を地でいく管工機材の商社 大清
<この年に誕生した会社>
「リスクを恐れるな」三兄弟の挑戦により発展 シロキ
<この年に誕生した会社>
薬局から始まり医療・福祉の総合企業へ ナンブ
<この年に誕生した会社>
材木商として港と共に生きる
名古屋港木材倉庫
<この年に誕生した会社>
学校給食の分野で実績 天狗缶詰

大正13年(1924)

大正14年(1925)

大正15年(1926)

昭和2年(1927)