リオグループという社名を耳にすると、名古屋のビジネスマンなら「アパレル大手のあのリオさんのこと?」と反応する向きが多いことだろう。確かにリオ横山とかリオチェーン等の企業で知られるリオグループは繊維業界で著名だ。だが、そのルーツは意外なところにあった。
リオグループは、大正15年(1926)4月の創業。現代表の横山和幸氏の祖父に当たる憲一が「横山商店」を名古屋に開業したのが始まりだ。創業当時は時計や貴金属を商う店だった。憲一は技術が好きで、時計の修理の腕は、ピカいちだったとか。憲一は、岐阜県笠松の出身で、八代続いた庄屋の出身だった。笠松から名古屋へ出て商売を始めた。
太平洋戦争が終わると、店を鉄砲町に移転して再開した。といっても、まだ繊維とは無関係の仕事をしていた。「時計を取り扱っている時にライターがよく売れたので、ライターを売るようになった」のだという。東京に仕入れに行って売ると、良く売れた。そうこうしているうちに、名古屋でも有数な喫煙具の問屋になった。
昭和25年(1950)には、「横山株式会社」を資本金50万円で設立した。設立当時は、憲一が社長で、息子の章一が営業部長だった。章一は昭和30年には社長に就任し、世代交代した。この章一は傑物で、先を見通す能力があり、事業多角化を目指して先手先手を打ってきた。
そのようにして資本を蓄積したうえで繊維業界に入ったわけだが、戦後間もなくの参入当初は、モノを仕入れて売るだけだったらしい。しかし、それでは妙味がないのでアパレルを企画して売るメーカーに脱皮した。
その一方で、昭和46年には横山株式会社より店舗を譲り受けて株式会社リオチェーンを設立し、小売店のチェーン展開を開始した。
昭和52年には、三重県で株式会社リオフジワラカントリーを設立し、ゴルフ場も始めた。
昭和56年には、横山株式会社から、株式会社リオ横山に社名を変更した。この「RIO」というのは、洗練された知的な組織という意味の「Refind Intelligent Organization」の略で、これらの頭文字を取って「RIO」と付けた。
このように、時代の流れに柔軟に対応しながら業態を変えてきたのが、リオグループの特色だ。現代表の横山和幸氏は、次のように抱負を述べている。
「当社のルーツはもともと繊維ではなかった。変化に対応しながら、繊維とかアパレルにこだわることなく、時流に合ったビジネスを展開したい。日本は法人、個人を問わず激動する国際間の潮流の真っ只中にある。リオグループの方針は時代に沿った事業展開を業種、地域を問わず行うことにある。当社は、平成27年で創業90周年を迎える。今後は成長するアジア圏への出店、販売を視野に入れ、千年続く企業にしていきたい」
本社所在地は、名古屋市中区平和1‐15‐27である。
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