精密パーツのプレス加工の株式会社タケダは、言い伝えによると、大正10年(1921)の創業だ。わざわざ「言い伝え」と書いたのは、昔のことだから定かではないためだ。
タケダは、大正10年に、現社長の武田泰法氏の曾祖父に当たる武田が名古屋市の東川端町(現・中区千代田2丁目)で「武田製作所」として創業した。創業当時の製造品は、ガラス製のコースター(コップ敷き)であった。
この事業は、2代目・喜代治が引き継いで、最盛期には50人ほどの従業員を抱えるまでに発展した。だが、太平洋戦争に突入し、工場は昭和20年(1945)の空襲で灰燼に帰した。
喜代治は、やむなく刈谷市に移り、40坪ほどの工場を借りて、自宅兼工場をつくった。設備は、戦災で焼け残った旋盤やフライス盤での再スタートだった。喜代治は発明家的な才能にも恵まれていた。昭和25年に発売したのは「万能かせくり器」だ。
編み物は、毛糸の玉を作ったうえで編む。この毛糸の玉を作るのは、1人が両手で毛糸を伸ばしながら2人で行うという作業だった。筆者なども、子供の頃には母親のお手伝いをしたのを思い出す。この2人作業を1人でもできるようにしたのが「万能かせくり器」だ。この「万能かせくり器」は売れに売れて、結果として、会社の基礎をつくった。
この「万能かせくり器」のヒットを出しながら、喜代治の目は将来を見据えていた。「これからは自動車の時代になり、プレス加工という事業が伸びる」と先を読んだ。そこで「万能かせくり器」の製造を外注に出しながら、自らはプレス加工という畑違いの分野に進出した。戦後の高度成長期に、しかも、刈谷という地で自動車部品の製造を開始したのである。トヨタの発展とともに、タケダの事業も大いに飛躍した。
この喜代治の薫陶を受け続けたのは、3代目の昭俊氏(現・会長)だ。昭俊氏は昭和58年に社長に就任した。自分の代で業績を伸ばした昭俊氏だが、経営の師は先代の父のようだ。「失敗を恐れるな。安定を求めるな」「手形を使うな」などの教えを受けたという。
自動車業界は、国内生産の減少などで厳しい状況が続いている。だが、タケダは従業員の雇用維持に使命感をもっている。「うちは創業以来、正社員をクビにしたことは一度もない」と誇らし気に語る。
タケダがこだわっているのは、日本人の、それも正社員によるモノ作りだ。「モノ作りは人作り」という原点に立って人材育成に努めていきたいという。今後の目標は、環境関連での自社商品開発に取り組むことだ。
本社所在地は、愛知県刈谷市一色町3‐6‐6である。
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