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第3部 明治後期/1907(明治40年)

その時、名古屋商人は

この年に創業 宮大工の伝統を守り続ける 渡邊工務店

 木造住宅を手掛ける渡邊工務店は、明治40年(1907)に創業した。

 創業者は、渡邊松次郎という。屋号は「大松」で、それは「大工の松次郎」の略だった。創業の地は、現本社でもある海部郡飛島村元起五丁目43番地。

 創業者の松次郎は、社寺の建築にも精を出していた宮大工だった。飛島村近辺には、松次郎の建てた神社やお寺が今でも残っている。

 松次郎の長男は、松由といい、明治39年生まれだった。若くして父の仕事を手伝うようになった。そして大工という仕事をしながら、名古屋工業専門学校(現・名古屋工業大学)に入学して、自転車で通学したという努力家だった。戦後すぐ1級建築士の資格も取り、図面も書けた。松由は長寿で、平成20年(2008)に102歳で亡くなった。渡邊工務店の基礎を作った中興の祖だった。

 昭和34年(1959)に東海地方を襲った伊勢湾台風で、会社も作業場もすべて全壊・流出し、2カ月半くらい海となり、ゼロからの出発となった。

渡邊工務店の渡邊均社長
祖父で創業者松次郎の写真を持つ
渡邊工務店の渡邊均社長

 松由の長男が現社長の渡邊均氏だ。均氏は昭和23年生まれで、幼少期から家業の建築業を継ぐ気でいた。

 均氏は、学校卒業後に地元のゼネコンに入って仕事を覚えてから、渡邊工務店に入った。だが、当時の渡邊工務店は、大手住宅会社の下請け仕事が多くなっていた。均氏自身も、大手の下請け仕事を受注して増やしたこともあったが、何だか違うという気持ちが強くなってきた。「本当に良い住宅を造りたい。それには大手の下請けではダメで、自分で施主様から受託するべきだ」と気が付いた。

 均氏は、根っからの建築好きだ。それは「門前の小僧、習わぬ経を読む」というが、まさに祖父や父から、背中で教えられたことだった。建築のことになると「例えば法隆寺の五重塔を見て欲しい。千年以上経っても、まだ建っている。日本の伝統的な建築技術は、世界的にみても高いことが証明されている」と話が止まらない。

 均氏は、昭和53年に社長に就任した。そして始めたのは、一見すると効率の低い手作り路線だった。「日本の家は、日本の木材で造るのが一番」という信念のもとに、材木を自分で調達することを始めた。この手作り路線は、効率一辺倒の大手とは一線を画している。

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序文

第1部 明治前期

第2部 日清・日露戦争時代

第3部 明治後期

明治39年 戦後の好景気、株式ブームへ
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 山田商会
明治40年 株価暴落
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 ノダキ
この年に創業 ハナノキ
この年に創業 渡邊工務店
この年に創業 江口巌商店
明治41年 アメリカで「T型フォード」が発売
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 安井ミシン商会(現・ブラザー工業)
この年に創業 ヨモギヤ楽器
この年に創業 星野楽器
この年に創業 丹羽幸
明治42年 アメリカで排日運動
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 福澤桃介
この年に創業 松屋コーヒー
この年に創業 タケヒロ
明治43年 石川啄木『一握の砂』刊行
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 キベ
この年に創業 井上
この年に創業 OMC
明治44年 関税自主権回復
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 大竹製作所
明治45年 明治天皇崩御

第4部 「旧町名」を語りながら