1. トップ
  2. 大正時代編トップ
  3. 大正9年 その頃、名古屋は…堅実経営で恐慌を乗り切った3大銀行

大正9年(1920)戦後恐慌に突入

その頃、名古屋は…堅実経営で恐慌を乗り切った3大銀行

 大正9年(1920)3月15日の東京株式取引所の株価暴落に端を発する恐慌は、全国的に金融界を激しく動揺させた。しかし、日銀融資と名古屋地元3大銀行(愛知〈東海銀行の前身〉・名古屋〈東海銀行の前身〉・明治)の安定した経営により、名古屋では取り付けはあったものの、大きな動揺を引き起こすことなく回避された。

 名古屋の3大銀行は、他行の合併を推進し、支店網を増大させた。名古屋銀行は、明治38年(1905)に鴻池銀行名古屋支店の業務を継承したあと、翌年から40年までに堀川銀行・豊島銀行・幅下銀行・津島銀行を買収合併し、大戦期に入って、大正4年には古知野銀行、6年には西尾銀行豊橋支店を合併、4月には金城銀行を合併した。

 明治銀行は明治40年に熱田銀行を合併した後、大戦期とその直後の7?8年に西尾銀行・瀬戸銀行・田原商工銀行を合併した。

 愛知銀行は、大正3年に関戸銀行、4年に一宮銀行、6年には東美銀行を吸収合併し、翌7年には北方銀行・枇杷島銀行・大垣銀行の3行を合併し、資本金を225万円から700万円に増資した。

次のページ その頃、名古屋は…大安売りを実施して市民の喝采を浴びた、いとう呉服店

ページの先頭へ戻るページの先頭へ

発刊に寄せて

序文

大正元年(1912)

大正2年(1913)

大正3年(1914)

大正4年(1915)

大正5年(1916)

大正6年(1917)

大正7年(1918)

大正8年(1919)

大正9年(1920)

戦後恐慌に突入
その頃、世界は 国際連盟が発足。日本が常任理事国へ
その頃、名古屋は 堅実経営で恐慌を乗り切った3大銀行
その頃、名古屋は 大安売りを実施して市民の喝采を浴びた、いとう呉服店
その頃、名古屋は 一代の風雲児・服部兼三郎が商売に失敗して自殺
服部商店を再建して興和の基礎を築いた三輪常次郎
その頃、豊田は 上海工場が完成
<この年に誕生した会社>
〝身の丈に合った経営〟に徹する住宅総合商社 丸美産業
<この年に誕生した会社>
工業用酸素の草分け 江場酸素工業

大正10年(1921)

大正11年(1922)

大正12年(1923)

大正13年(1924)

大正14年(1925)

大正15年(1926)

昭和2年(1927)