尾張藩は慶応4年(1868)の初め、戊辰戦争などの軍事費調達のため、御用達商人に総額で9万両もの拠出を命じた。度重なる調達金の徴収に対して、さすがの商人達も困り果て、御用達連名で藩庁に減額を懇願したところ、6万両になった。
この資金提供に応じた人は「御用達名前帳」に名前が載っている。それを見れば、慶応4年、つまり明治元年の時点における尾張藩御用達の商人の顔ぶれが分かる。『近世名古屋商人の研究』によると総勢353人で、三家衆、除地衆、十人衆、御勝手御用達、御勝手御用達次座、御勝手御用達格、御勝手御用達格次座、町奉行所御用達、町奉行所御用達格、町奉行所御用達格次座などに分けて格付けされている。ここに上位陣の顔ぶれを紹介しよう。
三家衆=信濃屋の関戸哲太郎、いとう呉服店の伊藤次郎左衛門(後の松坂屋)、内海屋の内田鋼太郎
除地衆=皆川屋の熊谷庄蔵、笹屋の岡谷惣助(後の岡谷鋼機)、十一屋の小出庄兵衛(後の丸栄)、伊藤屋の伊藤忠左衛門(川伊藤と呼ばれる。旧東海銀行の元頭取・伊藤喜一郎氏はこの出身)、京都商人で松前屋の岡田小八郎、近江商人で大丸屋の下村正之助
十人衆=萱津屋の近藤伊右衛門、佐野屋の中村はる、吹原屋の吹原九郎三郎、菱屋の渡辺喜兵衛、知多屋の青木新四郎(後の名エン)、材木屋の鈴木摠兵衛(後の材摠木材)、白木屋の岡田徳右衛門、中島屋の加藤彦三郎、粕屋の安藤善祐、多立屋の牧野作兵衛、美濃屋の武山勘七
彼らの資産は、十人衆で5千両、町奉行御用達で3千両と評価されたのだから、財力の豊かさが想像されるだろう。[参考文献『名古屋商人史』(林董一 中部経済新聞社)・『岡谷鋼機社史』・『近世名古屋商人の研究』(林董一 名古屋大学出版会)]
前述の通り、大坂や江戸では富商の倒産が相次いだ。それでは名古屋はどうだったのか? 意外にも、潰れずにしぶとく生き残ったところが多い。その理由は「大名貸」をあまりやっていなかったからだと著者は推察する。藩からお金を取り立てられることは頻繁だったが、それは強要されて渋々応じただけであり、大坂商人のように高金利を求めて積極的に貸していたわけではなかった。その堅実さが良かった。
では、この幕末という時代を生き抜いて、明治の世まで続いた名古屋商人は、どこか? 著者が知りたいのは、その点だった。そこで資料を丹念に読み解くことで、明らかにしてみたい。
林董一氏の『名古屋商人史』には、江戸時代の商人の名前が載っている。その中には、慶応4年(明治元年・1868)のものと、明治13年(1880)のものとがある。この2つの商人名を比較すれば「生き残った商人」「残らなかった商人」「明治になってから上位陣に入った商人」が明らかになるはずだと考えた。
まず慶応4年の資料である。尾張藩は何段階にもわたって御用達商人を細かく格付けしていた。御用達という制度は、もともと窮迫した藩財政の立て直しに協力させるために藩が作ったものだ。したがって御用達商人への登用や格付けは、調達金を負担できるだけの資産の大きさに基づいて藩が決めた。だから、これをみれば、当時の富商ランキングが正確に出来上がる。
その格付けは「三家衆」「除地衆」「十人衆」と呼ばれる御勝手御用達、御勝手御用達次座、御勝手御用達格、御勝手御用達格次座、町奉行の支配を受ける町奉行所御用達、町奉行所御用達格、町奉行所御用達格次座などであった。この中で「御勝手御用達格」以上の者は44人であった。本書では、この「44人」を「上位陣」とみなした。
次に明治13年の資料である。これは「名古屋の長者番付」と紹介されているものだ。これは富商を大関、関脇、小結、前頭などと格付けしている。多くの商人の名が載っているが、同数で比較するため「44人」を抜き出して「上位陣」とした。それによると、次のように区分できた。
「上位陣として生き残った商人」=17人
(関戸守彦、伊藤次郎左衛門、岡谷惣助、小出庄兵衛、吹原九郎三郎、渡辺喜兵衛、岡田徳右衛門、加藤彦三郎、牧野作兵衛、武山勘七、早川四郎兵衛、伊藤吉兵衛、服部与三治、森本善七、三輪惣右衛門、黒田茂助、榎屋庄兵衛)
「残らなかった商人」=27人
「明治になってから上位陣に入った商人」=24人
幕末は、現代風に表現すれば深刻な“恐慌”だったはず。著者の想像では、没落するところがもっと多いと思っていたが、意外にもこのように「生き残った商人」が多かった。もっとも、この明治13年というのは、江戸時代の名残をとどめている時期である。日本の工業化は日清・日露戦争以降に本格化するので、本当の意味での生き残り競争は、もっと後になるかもしれない。著者は寡聞にして知らないが「上位陣として生き残った商人」の多くは、平成の今日では続いていないように思う。
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