名古屋電燈は、大正9年(1920)から10年にかけて一宮電気・岐阜電気・豊橋電気などを合併ないし買収し、10年10月には関西水力電気と合併して関西電気株式会社となった。
さらに関西電気株式会社は11年2月4日、天竜川水力電気株式会社を合併し、この月また名古屋瓦斯株式会社を吸収合併した。こうして電気、ガスを完全に掌中に収めた巨大企業が誕生した。
関西電気は知多電気・天龍川水力電気などの諸会社を合併するとともに、11年5月に九州電燈鉄道株式会社を合併し、翌11年6月に東邦電力株式会社と名称変更した。同時に関西電気株式会社は、ガス部門を分け、東邦瓦斯株式会社を設立した。
東邦瓦斯の創立総会は、6月26日、得月楼(堀川沿いにあった料亭で、その後は鳥久となった。その鳥久も平成26年に営業停止した。平成26年に焼失)で開催された。社長は岡本櫻で、本社は中区南大津町2丁目11番地1にあった。
岡本櫻は明治11年(1878)4月、兵庫県大書記官、岡本貞の次男として神戸に生まれた。
同志社普通部を経て、第一高等学校、東京帝国大学工科大学(東京大学工学部の前身)へ進み、明治36年、応用化学科を優等な成績で卒業した。
恩師高松豊吉博士(のちに東京瓦斯社長)の紹介で、明治37年5月、大阪瓦斯創業時の建設工事に関わり、外国人技師ミラーの下で瓦斯技術の腕を磨いた。
明治39年9月、高松博士の紹介で名古屋瓦斯(社長奥田正香)の技師長に就任し、建設工事の責任者として、明治40年10月の開業にこぎつけた。
明治44年には取締役に昇進、技術者として高圧供給方式の採用、ガス漏洩防止策の徹底など事業の効率化を進めた。
大正11年(1922)、名古屋瓦斯は関西電気と合併した。同時にガス事業を分離した。これが東邦瓦斯になった。東邦瓦斯の設立総会は、大正11年6月26日、堀川沿いの料亭得月楼で開催された。社長には岡本櫻が就任した。
活躍の舞台は全国的になり、昭和2年(1927)7月、東京瓦斯取締役に、5年4月には同副社長となって、社長岩崎清七を助け、「焦眉ノ問題タル増資ヲ為シテ資金ノ途ヲ開キ瓦斯料金ノ値下ヲ行ヒテ市民ノ希望ヲ容レ進ンテ熱量販売制ヲ実施シ会社百年ノ計ヲ樹立」(岡先生頌徳之碑)したとされる。
岡本はまた、松永安左エ門に請われて昭和2年5月から8年5月まで、東邦電力の取締役・専務取締役に就任、東邦電力の分身東京電力と東京電灯との東京市場をめぐる争覇戦の処理に当たった。
これらの事業が軌道に乗ると再び再編成を図り、昭和5年8月には四日市地区を譲渡して合同瓦斯が誕生し、同年12月には九州地区のガス事業を分離して西部瓦斯が創設された。その活躍は全国に及び、「ガス王」と呼ばれた。
こうして東邦瓦斯の礎を築き、顧客・株主・従業員を三位一体とし、公共奉仕を目指す岡本精神を定着させ、事業発展の道筋をつけた。「ガス博士」とも称され、東邦ガスの社内報「桜和」は岡本櫻の名前にちなんで付けられたものである。
岡本は、昭和10年2月、多くの人に惜しまれながら、58歳の生涯を終えた。〔参考文献『社史:東邦瓦斯株式会社』〕
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