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大正元年(1912)明治天皇が崩御

その頃、名古屋は…愛知銀行を揺るがす詐欺事件が起きる

 愛知銀行(東海銀行の前身の一つ)で、この年に大事件が起きた。

 8月、愛知銀行が偽造手形とは知らずに17万円をだまし取られる事件が発生した。

 事件の真相は、三井物産名古屋支店の会計係と藤本ビルブローカー名古屋支店の社員が共謀して、三井物産名古屋支店名義の約束手形を偽造し、愛知銀行をはじめ十六銀行、四日市銀行の3行から総額75万円を詐取したものである。それにより新聞は「75万円事件」と称して大々的に報道した。

 新聞が連日、大見出しでセンセーショナルに書き立てたのは、金額が巨額であったこともさることながら、事件の結末が極めて劇的であったからである。悪事が露見して司直の手が伸びると、藤本ビルブローカーの社員は、かねて馴染みを重ねていた愛妓を連れて大阪へ逃げ、旅館で心中を迫り、女が拒否したので無理心中をした。三面記事には格好の事件である。

 一方、三井物産の会計係は、単独で郷里の山陰へ逃げたが、間もなく司直の手に落ちた。この事件を題材に、当時の名古屋新聞の記者であった北尾鐐之助が『75万円事件』と題して出版、それが地方出版としては珍しく版を重ね、また劇化されて新守座で上演されたことで、事件は一層評判となった。

 三井物産は事件解決のために支店長を入れ替え、児玉一造を新任して事件処理に当たらせた。三井物産が12万円の賠償金を愛知銀行に支払うことで事件を解決した。

コラム 名古屋の銀行の歴史

 名古屋には、明治時代に相次いで銀行が誕生した。その主なものは、次のとおりである。

伊藤銀行中支店
伊藤銀行中支店
『写真集 明治大正昭和 名古屋』

◎伊藤銀行

伊藤銀行は明治14年(1881)の設立。伊藤次郎左衛門家がつくった名古屋で初の私立銀行だった。伊藤銀行は、伊藤家のある茶屋町(現・名古屋市中区丸の内2‐5、アイリス愛知近辺)に置かれた。

◎名古屋銀行

名古屋銀行は明治15年(1882)に設立された。本店は、伝馬町6丁目(現・中区錦2‐3)に置かれた。
初代の頭取は滝兵右衛門で、歴代の顔触れは次のとおりであった。

名古屋銀行
名古屋銀行 『写真集 明治大正昭和 名古屋』

初代=滝兵右衛門(タキヒヨー・明治15年就任)、2代=小出庄兵衛(丸栄・明治17年就任)、3代=滝兵右衛門(明治18年就任)、4代=森本善七(森本本店・明治20年就任)、5代=滝兵右衛門(明治21年就任)、6代=春日井丈右衛門(明治40年就任)、7代=瀧定助(瀧定・大正5年就任)、8代=恒川小三郎(大正13年就任)、9代=井倉和雄(昭和11年就任)
名古屋銀行はその後、いろいろな銀行を吸収しながら大きくなった。吸収したのは、豊島銀行、幅下銀行、津島銀行、笠松銀行、古知野銀行、金城銀行、多治見銀行などであった。

恒川小三郎
恒川小三郎
『中京名鑑 昭和7年版』

名古屋銀行は、恒川小三郎が長年にわたり頭取を務めた。恒川は津島市の出身で、文久3年(1863)の生まれだった。教師だったが、津島銀行に転職して銀行員になった。津島銀行は名古屋銀行に吸収合併されたので、名古屋銀行に移った。昇進を重ねて大正13年(1924)に頭取に就任し、昭和10年(1935)まで務めて、昭和金融恐慌など難しい時代を乗り切った。

◎愛知銀行

愛知銀行頭取 渡邉義郎
愛知銀行頭取 渡邉義郎
愛知銀行
愛知銀行 『写真集 明治大正昭和 名古屋

愛知銀行は、明治29年(1896)3月に設立された。
初代の頭取は岡谷惣助で、その後は渡邉義郎が長期にわたって頭取を務めた。渡邉は日本銀行名古屋支店長だったが、その敏腕ぶりを評価され、名古屋財界からこわれて、迎え入れられた。明治41年に常務取締役に就任し、翌42年頭取に就任した。
本店は本町通の玉屋町に置いた。現在の住所では、中区錦3‐11(万兵の場所。御幸ビルの北側のブロック)である。
この伊藤・名古屋・愛知という3行は、昭和16年(1941)に合併し、東海銀行になった。なお、旧・中央相互銀行から転換した現在の愛知銀行とは全く関係ない。

明治銀行
明治銀行 『写真集 明治大正昭和 名古屋

◎明治銀行
明治銀行は明治29年(1896)8月に設立された。資本金は3千万円という巨額で他行を圧倒した。
初代頭取には、奥田正香が就任した。奥田はすぐ辞任して、後任として松本重太郎が就任した。常務・支配人には笹田伝左衛門が就任した。取締役には、鈴木摠兵衛、松本誠直、近藤友右衛門(信友)が選ばれた。
明治31年には、奥田正香からの強い要請を受けて、神野金之助が頭取になった。神野は以後、大正5年(1916)までの長期にわたり、頭取を務めた。
明治銀行の本店は、当初伝馬町7丁目(現・中区錦2‐5)にあった。大正12年には広小路に移転した。場所は、広小路七間町の交差点の西南角、つまり現在名古屋栄東急REIホテル(旧・名古屋栄東急イン)のあるところだ。建物は、鉄筋コンクリート地上2階・地下1階建てで、豪華な造りだった。
では、明治銀行はその後どうなったのか? 
実は倒産してしまった。昭和7年(1932)、村瀬銀行の取り付け騒ぎがあり、明治銀行も倒れてしまった。

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発刊に寄せて

序文

大正元年(1912)

明治天皇が崩御
その頃、日本は 日露戦争の外債の利払いに苦しむ
その頃、豊田は 佐吉が栄生で自動織布工場を建設へ
佐吉を物心両面で支援した三井物産の藤野亀之助
弟の利三郎を豊田家に送り、石田退三を入れた児玉一造
その頃、名古屋は 服部兼三郎が商店を法人化
その頃、名古屋は 愛知銀行を揺るがす詐欺事件が起きる

大正2年(1913)

大正3年(1914)

大正4年(1915)

大正5年(1916)

大正6年(1917)

大正7年(1918)

大正8年(1919)

大正9年(1920)

大正10年(1921)

大正11年(1922)

大正12年(1923)

大正13年(1924)

大正14年(1925)

大正15年(1926)

昭和2年(1927)